胸に抱いていた思想とは裏腹に、キャリアの在り方が変わっているってことはあるのではないだろうか。
私自身でいうと小学生の思想に基づけば今頃、ニューヨークでニューヨーカー気取ってベーグルにスタバのコーヒーで景気づけてジョブ前にジョグ、なんておやじギャグを飛ばしてるはずである。
ところが道というのは周りの状況によって容易く変わるものであり、家族や周囲がその道を応援してくれるならいざ知らず、そうでない場合は道の変更を余儀なくされることが多々あると思われる。それが、岐路である。
岐路に立たされることで思い描いていたキャリアも変化を見せた。二十代であれば何度か悩みつつ、「でもとにかく前に進もう!」と必死だったような気がする。『不安』という忍び寄るような感情と戦いながら歳を重ねて、新しく選択されるキャリアを積み上げていく。そして気づけばまた次の岐路。
ああ、人生って何度も訪れる岐路の連続なのね。
気が付くと子供が生まれて辞書にない『育児』なるものに時間を費やしたりしている現実。一体いつになったら理想のキャリアを築けるの!!と、思わず悶絶したくなる瞬間もないとはいえない。
でも。
だから前に進んでいけるともいえる。キャリアを作ろうというより、足跡のように刻まれてきたこれまでの道のりを振り返れば、紆余曲折しながら自分という土壌に種がまかれていることは間違いない。その芽がいつ伸びるかは、どれだけ希望を失わず、どれだけ熱烈に思い続け、どれだけラフに構えていられるか……にかかっているのではないだろうか。
いずれにせよキャリアがあればあったで立ちはだかる次のステップについて悩むし、なければないで地盤の緩さに悩んでしまうもの。女のキャリアは一筋縄ではいきませんよ、ってことなのだね。
ニューヨークで働きたいなんて、バブルに踊った思想の断片にすぎない。経験や好みから言えば寧ろヨーロッパの方がいいじゃないか……なんて思ったり。いつしか行き先は東から西へ変わり、仕事への考え方も幾分か柔軟になった気がする。まあ、深く思い込まないことだ、と自分を叱咤しつつ、「生きてることがキャリアだぜ。」とひたすら自身を鼓舞するおめでたい私なのであった。
私自身でいうと小学生の思想に基づけば今頃、ニューヨークでニューヨーカー気取ってベーグルにスタバのコーヒーで景気づけてジョブ前にジョグ、なんておやじギャグを飛ばしてるはずである。
ところが道というのは周りの状況によって容易く変わるものであり、家族や周囲がその道を応援してくれるならいざ知らず、そうでない場合は道の変更を余儀なくされることが多々あると思われる。それが、岐路である。
岐路に立たされることで思い描いていたキャリアも変化を見せた。二十代であれば何度か悩みつつ、「でもとにかく前に進もう!」と必死だったような気がする。『不安』という忍び寄るような感情と戦いながら歳を重ねて、新しく選択されるキャリアを積み上げていく。そして気づけばまた次の岐路。
ああ、人生って何度も訪れる岐路の連続なのね。
気が付くと子供が生まれて辞書にない『育児』なるものに時間を費やしたりしている現実。一体いつになったら理想のキャリアを築けるの!!と、思わず悶絶したくなる瞬間もないとはいえない。
でも。
だから前に進んでいけるともいえる。キャリアを作ろうというより、足跡のように刻まれてきたこれまでの道のりを振り返れば、紆余曲折しながら自分という土壌に種がまかれていることは間違いない。その芽がいつ伸びるかは、どれだけ希望を失わず、どれだけ熱烈に思い続け、どれだけラフに構えていられるか……にかかっているのではないだろうか。
いずれにせよキャリアがあればあったで立ちはだかる次のステップについて悩むし、なければないで地盤の緩さに悩んでしまうもの。女のキャリアは一筋縄ではいきませんよ、ってことなのだね。
ニューヨークで働きたいなんて、バブルに踊った思想の断片にすぎない。経験や好みから言えば寧ろヨーロッパの方がいいじゃないか……なんて思ったり。いつしか行き先は東から西へ変わり、仕事への考え方も幾分か柔軟になった気がする。まあ、深く思い込まないことだ、と自分を叱咤しつつ、「生きてることがキャリアだぜ。」とひたすら自身を鼓舞するおめでたい私なのであった。