夫が表彰されるたびに、
夫が仕事で必要な資格試験に合格するたびに、
そして、夫が昇進するたびに、

私は二つに引き裂かれる。

大学卒業後、社会に出たのは同時だった。
街の光に反射して七色に輝く雨粒が、
窓ガラスに叩きつける車の中で、
お気に入りの居酒屋の、
白い湯気のたつ厨房の前のカウンター席で、
ブナの森の中にある昼下がりのカフェで、
私たちは時間を忘れて、夢中になって語り合った。
新しい世界への憧れや夢、
理想と現実、愚痴や批判を、
恋人というよりも、「同士」として。

結婚後。
妻が妊娠し、自分の身体の変化と
お腹の中の新しい命に全神経を集中させている時、
夫は自分の仕事に慣れていった。

あの暑い夏の日、妻が汗を流しながら
赤ん坊の唇に乳をふくませることに躍起になっていた時、
夫はどんどん仕事で実力をつけていった。
なんでもかんでも口にいれてしまう
わが子に悲鳴をあげている妻の隣で、
夫は、次のステップに向かって進み出していた。

「子どもを産んで、育てることは貴重な経験よ。無駄じゃないわ」
この言葉を、もう何人の女性に言われただろう。

おっしゃるとおり。

「自分の子ども」なるものを子宮に宿した瞬間から、
世界は変わった。
テレビのニュース番組ひとつを観ても、
受け取り方が180度変化してしまったほど
価値観は激変したし、忍耐強くもなった。

母になれたことは人生で一番の幸運だったと
胸を張って言えるし、
毎日子どもを抱きしめて、
日なたくさい髪のにおいをかぐたびに
「ああ、産んで良かった」と心から思う。
時にはその幸福感で胸がいっぱいになって、
涙さえ滴り落ちてしまうほどなのだ。

けれど、この焦燥感は何だろう。

這いつくばうように、子どもが汚した床の掃除をする私の
数メートル先で夫が「自分のために」
勉強をしている姿を見つける度に
家中の何もかもを
めちゃくちゃに壊してしまいたい衝動に
かられてしまう自分がいる。

「よかったわね。おめでとう!」

夫が手にした合格証を、
茜色の夕陽がさすリビングの隅に
そっと飾り微笑んで告げる自分の顔の筋肉の裏に、
その小さな紙片を引き裂いてしまいたいと切望する
もう一人の私が存在する。

主婦業は立派な「仕事」だ。
けれど、どんなに頑張っても、
「他から」評価されない虚しさや、
「自分で食い扶持を稼ぐ」という
基本的な足場を確保できない不安感が
常にまとわりついて離れない。

そして、周囲にどんどん追い越されていく
「職業人」としてのキャリア。

「産む」という選択をした瞬間に、
それまで寄り添って走ってきた二本のレールが
全く違う方向に分かれてしまったように感じる。
夫はそのまま直進し、
私は真っ白な霧に包まれながら、
ぐにゃりぐにゃりと迷走を続ける。
はるか先にうっすらと見える夫の姿に、
羨望と嫉妬、そして憎悪すら感じながら。

停滞か、充電か、はたまた……
無我夢中で迷走してみるのもいいのかもしれない。
10数年後、
今の時期の自分を愛おしく、
懐かしく思い出して微笑む自分に出会えるように。