『完全ではないから、いとおしい』
—前田義子「前田義子の勇気リンリン!強運生活」より—

誰でも自分の言ってしまったこと、やってしまったことに自信が持てない瞬間はあるものです。
仕事でも子育てでも夫婦関係でも。
人と人がぶつかり合うということは、お互いの価値観がぶつかり合うということ。その中で差異があるのは当然なのですが、相手の表情や態度で傷ついてしまったり、傷つけてしまったことを悔やんだりしてしまいがちです。

ファッションブランド『フォクシー』の創立者である前田義子氏は、子育てや介護を通して自分が「不完全」であることを知る、と言います。
「ものが壊れるように、人も壊れます。生活をしていくうえで具合のよくないことも起きています。だけど、人としていとおしい存在でいてくれることに感動することがあります(中略)——健常なことが絶対とは限りません。ひとつの価値観ですべてを決めることはすごく乱暴だと思います。いい面、悪い面に思えることだって裏表が決まっているわけではありません。見る角度によって何事も違って見えるものです。」

子供はワガママを言いながら成長します。そして大人は抑え込んだワガママに解放されて子供に戻って行く。その中でどんなに理論をふるおうとそれに太刀打ちすることは出来ないのです。頭じゃなくて魂。魂がぶつかりあう事こそが人間関係で、個々の魂を認めることが生きることの醍醐味なのではないでしょうか。

白が白であることはまっとうだけれど面白くない。
現代日本ではとかく誰かを戒めたいという風潮にあるような気がします。でも誰かを戒めたいと主張するほど、その理論は正しいのかというとそれはわからない。誰かが声高に言い始めたから自分もそう思うと賛同しているに過ぎないように見えます。

芸術的な感性はほとんどが過去を打ち破るものでしょう。それは当たり前を壊す作業から生まれる感動に人が心打たれるからです。
標準化はもちろん必要であるけれど、それに捕らわれすぎては心が曇ってしまう。人はいつも不完全であるものだからこそ、「であるべき」の前に愛をもって相手を見られるようになりたい。そう、思うのです。