(潜在意識覚醒)
セラピストのNagiです
生きるのってさ、
嬉しいのも楽しいのも悲しいのも怒っちゃうのも
ぜーーんぶの事だよね?
だから、この世の全てが自分であって
自分という「私」はいないんだよ
その前提の下で、
この地球では「私」という唯一の自分として
主人公を生きているんだね
今まで色んなセッションを
やってきたけど
変われなかったって人は
最後の砦
「自分の中」
をやらないといけない
ってことだと思うよ!
「まだ気づいていない自分」に
気付くことが何よりも
大事なんだよ!
というコンセプトでこのブログはお送りしています![]()
クライアントの皆様へ
幸せを感じる心を創る予備校スケジュール![]()
12/21
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富山地裁できょう16日に開かれた初公判で、大門被告は「性行為をしたことは間違いないが、しつけの範囲を超えた叱責はしていない逆らえない状態ではなかった」と無罪を主張しました。
とにかくナルシシストは怒りやすい。
普通の人なら傷つかないことで、ナルシシストは傷つく。
ちょっとしたことでものすごく傷つく。
先に書いた神経症のナルシシストの親たちの話である。
皆、子どもが被害を受けていることを認めない。
自分が加害者であることを認めない。
ナルシシストにとって失敗したと認めることは、普通の人とは違って、きわめて危険で不愉快な出来事である。
自分の存在そのものの危機である。
自分の存在を維持している誇大な自我のイメージが壊れるからである。
失敗したと認めることは、自己陶酔で生きてきた今までの生きる土台を壊してしまう。
ナルシシストは普通のことでも、傷ついて怒っているのである。
いわんや自分が失敗したときにそれを話題にされたら、怒りで頭がおかしくなる。
フロムはナルシシズムがひどくなればなるほど失敗の事実を認めたり、他人の正当な批判を受け入れられないという。
批判でないことでも傷つくのに、それを批判されたのである。
どんな些細な失敗でも批判されたら怒りで心は煮えくりかえる。
フロムがいうように、ナルシシズムがひどくなればなるほど失敗の事実は認めることができない。
それだけ失敗による傷が深いということである。
認められないのは、自分がした失敗ばかりではない。
自分が他人に危害を与えたことも認められない、また逆に、自分が他人の恩恵に浴したことも認められない。
それにたいして「ワー、お上手、お上手!」と我を忘れて必死で手をたたく母親がいる。この場合には子供のナルシシズムは満足され、消化されていく。
我を忘れて、自分の事に関心を持ってもらった経験があると、ナルシシズムを解消しながら成長していける訳です![]()
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まぁ、毒親育ちの家庭ではあり得ない事ですね・・・
我を忘れて褒めてもらえるとは真逆の世界なんで・・・![]()
そうやって、幼少期に特に母親から関心を持ってもらえなかった子は、ナルシシズムを解消していく事が出来ないために、ナルシシズムを強めていってしまう場合がある、という事です。
この父親も、そんな生い立ちだったのかもしれません。
そういう背景については、ほとんど語られないですからね。
その人が犯した悪い部分は報道されても、
その背景にある事まで掘り下げて理解する事は一般的にはないじゃないですか。
だからこそ、魂レベルで負っている様な傷を癒される機会を得られないまま、
罰だけ受ける訳です。
これでは、何回生まれ変わったとしても、更生していく(傷が癒されて行く)というのは不可能なのも無理はないなと思いました。
以前、地球は宇宙の罪人が閉じ込められる所、というブログ記事を書きましたが、
ナルシシズムという事を知っていくと、やっぱりそうなのか、と思えてなりません。
今回のこの事件の父親にも、十分通じる事だよなと腑に落ちてくる訳です。
っていうか、そうとしか思えないし、そうやって傷を癒すことなく罰だけ受けるシステムだから、こんな残虐な事件が無くなる事はないんだろうな・・・と、悲しいですが、腑に落ちてしまった私がいました。
それはナルシシストには、他人から見たら自分の行動はどう映るかという視点がゼロだからである。
突っ張っている姿が他人から見て幼稚に見えるということに気がつかない。
ナルシシストは現実否認であるが同時に、現実不在でもある。
現実を否認してしまえば、当然ですが、自分の現実も不在となってしまうのです。
こんなに当たり前の事なのに、お母さんに関心を持たれなかった・褒められなかった事が原因で、多くの人が、自分の現実を認められなくなってしまう。
その結果が、弱い子供が被害者となってしまう・・・という現状なのです。
自分の行動によって被害を受けた他人の現実は「ない」のである。
それがナルシシストである。
当時10代だった実の娘に性的暴行の罪 父親が初公判で無罪主張 被害者「私と同じ地獄を生きることのない社会を」
「記憶の棚おろし」をする
神経症になった人が幼いころの家庭を思い出して、「両親はよく喧嘩をしていた、仲が悪かった」と、よくいう。
自分の神経症の原因は「仲の悪い両親」だという。
神経症的傾向の強い人が、幼いころを語るときに両親の暴力を語る。
ちょっとしたことで父親が物を投げる、母親は刃物をもち出すなど、延々と幼少時の家の惨状を語る。
次のような話をよく聞く。
「母親は、問題の解けない私を無理やり机に座らせて、ものすごく責めて、ほうきでたたいて、『こんな子、産まなければよかった」と泣きながら叫んだ」
「勉強のできない私は、頭のよい子と比較されて殴られた」
「よく父親は夕食のテーブルをひっくり返して怒った。母親はヒステリーのように叫んだ」
ある人は、親と別に食事をとるようになって「はじめて味がわかった」といった。
別に何をしたわけでもないのに、「何でいつもこんなに親から殴られるのか?」と子どもは思う。
たいていは親がナルシシストである。
母親が「ちょっと、そこのものを取って」といったときに、すぐに取らないと殴られた。
とにかくナルシシストは怒りやすい。
普通の人なら傷つかないことで、ナルシシストは傷つく。
ちょっとしたことでものすごく傷つく。
その怒りをどうにも処理できないで、殴りやすい子どもを殴る。
ナルシシズムは連鎖していく。
よく貧困の連鎖というが、ナルシシズムも連鎖する。
しかし、ナルシシズムの連鎖のほうは人々の関心を呼ばない。
ナルシシストは普通のことでも、傷ついて怒っているのである。
いわんや自分が失敗したときにそれを話題にされたら、怒りで頭がおかしくなる。
ナルシシストにとって失敗したと認めることは、普通の人とは違って、きわめて危険で不愉快な出来事である。
自分の存在そのものの危機である。
自分の存在を維持している誇大な自我のイメージが壊れるからである。
失敗したと認めることは、自己陶酔で生きてきた今までの生きる土台を壊してしまう。
それは生きていかれないほどの不快感である。
フロムはナルシシズムがひどくなればなるほど失敗の事実を認めたり、他人の正当な批判を受け入れられないという。
批判でないことでも傷つくのに、それを批判されたのである。
どんな些細な失敗でも批判されたら怒りで心は煮えくりかえる。
我々の日常生活は失敗の連続である。
小さい失敗もあれば、大きな失敗もある。
それらのさまざまな失敗を認めなければ、現実否認のためにエネルギーは消耗する。
フロムがいうように、ナルシシズムがひどくなればなるほど失敗の事実は認めることができない。
それだけ失敗による傷が深いということである。
認められないのは、自分がした失敗ばかりではない。
自分が他人に危害を与えたことも認められない、また逆に、自分が他人の恩恵に浴したことも認められない。
とにかく他人との関係で恩に着るようなことは認められない。
それはナルシシストには、他人から見たら自分の行動はどう映るかという視点がゼロだからである。
突っ張っている姿が他人から見て幼稚に見えるということに気がつかない。
ナルシシストは現実否認であるが同時に、現実不在でもある。
ナルシシストにとって「私はすごい」のである。
それが崩れたら生きていけない。
ナルシシストは栄光の自己イメージにしがみつく。
普通の人は、何かあったときにナルシシストの栄光の自己イメージが傷ついたことに気がついていない。
だから「何でこんなことに、そんなに怒るのか」と不思議になる。
先に書いた神経症のナルシシストの親たちの話である。
皆、子どもが被害を受けていることを認めない。
自分が加害者であることを認めない。
ある人は、少しでも親のいうとおりにしなければ、母親は「二階の子ども部屋にまで追いかけてくる」という。
そして「死ね、死ね、死ね」と三回いう。
その人は、「遠くから母親の声が聞こえたり、足音がすると、ビクッとして、息が詰まる」という。
それでも母親は「こんなに愛しているのに」という。
「私は素晴らしい母親」という自己イメージをもつナルシシストである。
ある女性は、学校に行きたくないと父親にいうと、「そんな訳のわからんこというと、ぶっ殺すぞ」といわれた。
そしていつも半殺し状態だった。
髪の毛は引っ張られて体が宙に浮かび、そのまま畳の上にたたきつけられて顔面が腫れ上がる。
体中と頭が腫れ上がり、痛くて横になっているだけだったという。
そういう親は、子どもの不登校は親の子育ての失敗だと思うからである。
自分の行動によって被害を受けた他人の現実は「ない」のである。
それがナルシシストである。
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