キラキラ 「何で私だけ、人生良くならないの?」
と、
悩んで悩ん堂々巡りしている方へ キラキラ
 
 

The-Subconscious

 (潜在意識覚醒)

セラピストのNagiです虹

 

 

 

カギ カギ カギ カギ

 

 

今まで

色んなセッションをやってきたけど

変われなかったって人は

最後の砦

「自分の中」

をやらないといけない

ってことだと思うよ!

 

「まだ気づいていない自分」

気付くことが何よりも

大事なんだよ!

 

 

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

 

スピリチュアルで言われる手放すとは、

捨てるという事を意味しています上差し

 

 

解放とも言ったりしています。

 

 

けれども、

自分に執着している人は、

捨てる事ができない心理があるのです・・・

 

 

今日は、なぜあなたは手放せないのか?

そこをお送りします。

 

 

 

 

 

スピ界などで、手放す、手放し、などが良く言われているので、

やってみてる人も多いと思います上差し

 

 

 

 

でも、現状はどうでしょうか?

実際に手放せていますか?

 

手放すと言ってみて、

何が現実はよくなったでしょうか?

 

 

 

 

 

実は、手放しというのは、

自分の事を肯定できる人だけが出来る事なのです。

 

なぜなら、自分が持っているものを捨てなければいけないからです。

 

捨てる事に対して納得出来ていなければ、

人は絶対に捨てようとは思えないものだからです。

 

私の実体験からも言える事ですネガティブ

 

 

 

 

 

 

つまり、心の中に傷を負ったままの人、

自分の事を肯定する事ができない人は、

手放す準備がまだ出来ていないという事なんです。

 

だから出来ないだけなのです。

能力が無いとかそういう事ではありません。

 

 

出来ない人は、まだ単純に準備が出来ていないのです。

 

 

ここを理解していないと、

どうやっても手放すという事は出来ない訳ですカギ

 

 

 

 

もしも、手放したい何かがあるのなら、

まずは、自分に執着しているという事を理解すると、

 

そこから始めて手放す準備段階に入っていく事ができるのですキラキラ

 

 

 

 

自分に執着しているとはどういう事かを、

以下の引用文から学んでみて下さいカギキラキラ

すごく役に立つと思います。

 

 

 

 

少し長いですが、じっくりと読んでみて下さい。

又、本文が長いため、一部分のみ引用しています。

 

全文を読む事を強くオススメしますびっくりマーク

 

 

 

それではいってみよ~ロケット

 

 

 

神経症者の要求の特徴4

今回はカレン・ホルナイの言う神経症的要求の特徴の四回目で、最後である。

その特徴は復讐性である。

神経症者の要求には復讐性があると彼女はいう。

 

 

側から見ると恵まれた人生を送っている人が居る。

しかし本人は辛い人生だと悩んでいたりする。

なぜ辛がっているのか?

 

その一つのケースはその人が自分の理想像へ執着しすぎるからである。

 

神経症者は現実の自分の実力、能力、適性を無視して、

何としても「理想の自分」になろうとするからである。

 

 

だから疲れていても仕事を休むことが出来ないのである。

彼らは走って走って走り続ける。

恐ろしいものに追いかけられて走っている。

 

 

彼らも誰かが自分を助けてくれると思えば、止まるだろう。

しかし誰も助けてくれないと思うから止まれない。

 

 

自分がしたいことをして、結果として「恵まれた人生」になった人と、

皆が「わー、凄い」と言うことをして、恵まれた人生になった人では、

同じように社会的経済的には恵まれていても幸福感は全く違う。

 

皆が「わー、凄い」と言うことをして成功した人は、

端から見て恵まれていても、生きるのが辛い。

 

「生きるのが辛い」とは心が満足していないと言うことである。

 

「端から見て恵まれていても、生きるのが辛い人」は人に見せるための人生を送っている人である。
 
辛がっている人の問題は「自分の理想像への執着」なのである。

 

ただ「自分の理想像への執着」と言うと何かかっこいいようだけども、

それは単に虚栄心が強いと言うだけのことである。
 

 


「理想の自分」とは要するに、

皆から「わー、すごい」と賞賛されるような人間である。

 

もちろん心理的に健康な人も皆から「わー、すごい」と賞賛されたい。

 

しかしそれはあくまで自分が好きなこと、

自分の適性にかなったことで成功して褒められたいということで、

神経症者の様に自分の適性と関係なく、褒められたいとは思わない。
 

 

 
神経症型の人は現実の自分の実力、能力を無視して、

何としても理想の自分になろうとする。

 

だから疲れていても仕事を休むことが出来ないのである。

彼らは走って走って走り続ける。

 

恐ろしいものに追いかけられて走っている。

彼らも誰かが自分を助けてくれると思えば、止まるだろう。

しかし誰も助けてくれないと思うから止まれない。
 
だから神経症者は何としても出世をしたい。

それは何であってもいい。

 

皆から尊敬されるものであれば、

自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。

 

というよりも神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなっている。
 
そして神経症的になればなるほど自分の出来ないことをしようと焦る。

 

それはいよいよ自分の願望ではなく、

他人の羨望を求めて行動するからである。

 

八ヶ岳に登よりも、

キリマンジェロに登ったほうがみなから「わー、すごい」と言われる。

 

そう言われて、幼児期からの憎しみや、苦しみを一気に吹き飛ばしたい。

 

 

神経症になればなるほど自分の出来ないことをしようと焦るのは、

神経症的になればなるほど、虚しいから、

それを名誉やお金で埋めようとしているからである。

 

虚しさが深刻なら深刻なほど、

その大きな穴を埋めるのに大きな名誉と大金が必要になる。
 


従って神経症者は失敗を受け入れることが出来ない。

受け入れることが出来ないとは、

失敗すると失敗を嘆いてばかり居ると言うことである。

 

心理的に健康な人は自分のしたいことをして失敗するから、

失敗してもしたことに対する満足はある。

 

失敗に対する態度でその人の神経症の程度は分かる。

 

 

神経症者は自分を大切にした生き方をしていないから、

失敗したら後悔だけの人生である。

 

そして成功しても幸せになれない人である。

 

なぜなら何事も自分の意志でしているのでないから。

成功しても達成感、満足感がない。
 

 


心理的に健康な子供が木に登ろうとする。

自分が登りたいから登ろうとしている。失敗する。

 

すると「なぜだろう?」と思う。もう一度挑戦する。

自分が納得するまで登る。

 

神経症の子供が木に登る。

自分が登りたいわけではない。

しなければいけないからするだけである。

 

登れなかった。

すると登れなかったかった自分に対する絶望と後悔が残る。
 

 

 
理想像への執着は人生の白アリみたいなものである。

白アリは長い間に家を壊す。

 

 

神経症者は不安である。

その自分の不安から名誉やお金によって逃れようとする。

 

お金や名誉を誇示することで自信のなさから逃れようとする。

 

だから名誉やお金に強迫的になるのである。

名誉やお金がなくては居ても立っても居られない。

 

それが名誉やお金に「強迫的」と言うことである。

 

 

 

彼らは誰も人を信じていないから名誉やお金が必要なのである。

自分を守るものとしてお金や名誉しか信じられないのである。
 
お金も名誉もなくてもあの人は私を愛してくれると信じられれば、

人はお金や名誉に強迫的にならない。

 

お金も名誉もなくてもあの人は私を見捨てないと信じられれば、

人はお金や名誉に強迫的にならない。

 

 

 

神経症型の人は人を信じていないから、

お金や名誉がなければ人と堂々と会えない。

 

心理的に病んでいる人にとって実際の自分は軽蔑の対象でしかない。

責める対象としての自分なのである。

 

もう一方に愛される自分、人々から尊敬される自分がいる。

それが理想の自分である。

 

この理想の自分と実際の自分の緊張関係から強迫性が生まれる。
 
 

 

不安と強迫性との関係を頭においておくことは大切である。

 

つまりそれを頭においておけば、

自分が何かに強迫的になった時、

自分の中にどのような不安の原因があるのかと反省することが出来るからである。

 

自分には自分が気がついていない何があるのだと反省してみることが出来る。

何で自分はこんなにまで名声を追及するのかと言う反省である。
 
 

心の底で知っている実際の自分と、

理想の自分とがどれくらいかけ離れているかを反省する機会となるからである。
 
 

それでないと、富や名誉に強迫的になりながら、

いつまでも富や名誉を強迫的に追い求め、

ついに現実の自分の人生に満足することが出来ないままで人生を終わることになる。
 


強迫的になっている人の間違いは、

「自分はこんなに頑張っているのに幸せになれない、だからもっと頑張らなければ」と思ってしまうことである。

 

前後のかかわり合いを見ていない。状況を見ていない。

自分のしていることが理解できていない。
 

 


例えば自分は花束を女性にプレゼントしているつもりでいるが、

実は骸骨をプレゼントしているということがある。

だから女性がこちらを向かないで逃げていく。

 

すると「何でなんだ、俺がこんなに努力しているのに」と叫び、苦しみ、悩む。
 
なぜ思惑がはずれたかを反省していない。

相手を見ていないから努力が生きてこない。

相手が何を望んでいるかを考えない。

自分の世界観だけで努力する。

 

だから「こうなる」と思ってしたことが、「こうならない」。
 
なぜなのだろうと考えないで、「もっと」同じことをする。

さらに努力をする。もっと大きな骸骨をもっとプレゼントする。
 

 


例えば気に入られたいと思って自分の本当の感情を表現しないとする。

 

本当は「会いたい」のに、

「会いたい」と言うと相手に軽く思われるかと思って「会いたい」と言わない。

 

「会ってやる」と言う態度を示す。
 
逆に迎合する態度が相手を遠ざけてしまっているのに、

さらに迎合する人もいる。
 
もしかすると相手は本当の感情を表現できるような親しい間柄を望んでいたのである。

相手はそうしたよそよそしい態度に淋しさを感じる

 

 

 

神経症者は相手を見ていない。

相手を理解していない。

 

ではなぜ人を好きになるのか?

なぜ人を嫌いになるのか?

 

それは相手が自分の何かを誉めてくれた、

自分のコンプレックスを癒す一言を言ってくれたからである。

その一言で好きになる。

 

逆に自分のコンプレックスの部分を逆撫でする一言を言い、

傷つけたから嫌いになる。

 

 

 

神経症型の人は相手がなんでそれを言ったかも考えない。
 
ある宴会で自分は上席だと思って出席した。

しかし期待したよりも下座だった。

それで「もっと」頑張る。

なんで自分は下座かという事を考えない。
 
期待したよりも下座なのは自分がお金がないからではなく、

食べ方に品がないからかも知れない。

お金よりも心のゆとりが必要なのに、

もっとお金を稼ごうとしてしまう。
 

 


強迫的になってしまう人は誰からも教えてもらっていないのだろう。

 

手を強迫的に何度も洗う。

小さい頃「もうそれくらいでいいのよ」と優しく教えてくれる母親がいない。

 

手を洗った後で小さい頃「わー、キレイ」と言ってくれる人がいなかった。

 

自分の理想像に執着するとは、

自分への期待を下げられないということである。

 

「期待を下げる」と言うよりも

「自分への期待を適切なものに変更出来ない」ということである。

 

 

心理的に病んでいる人の問題は「期待を変える」ことを「期待を下げる」と解釈してしまうことである。
 
心理的に病んでいる人は自分の考える理想の自分にならなければ愛されないと錯覚する。

 

 

自分には丸の面も三角の面も四角の面も×の面もある。

その中の三角が良くて好かれると言うことが理解できない。

 

丸も三角も四角も×もすべてが良くないと自分は好かれないと錯覚する。

だから理想像に執着するのである。

 

 

 

 

自分に気づき、自分の事を時間をかけて理解していけば、

必ず生きやすくなっていくのです。

 

自分にとって必要な事を学んであげる事は、

自分を幸せの列車に乗せてあげる事でもあるからですキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうもありがとうございましたハート

 

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