キラキラ 「何で私だけ、人生良くならないの?」
と、
悩んで悩ん堂々巡りしている方へ キラキラ
 
 
 
 
 

The-Subconscious

 (潜在意識覚醒)

セラピストのNagiです虹

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ゆめみる宝石年末特別企画ゆめみる宝石

 

12/24から個人セッションを募集しますキラキラ

今回は先着2名です

よろしくお願いします♡

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

 

 

キラキラ幸せを感じる心を創る学校キラキラ

というのを定期的にやっていますチョキ

 

ドキドキクライアント様方ドキドキ

1月の開催日

1/8(月)19:30~21:00

1/27(土)9:00~11:30

 

誰もが昔は持っていたけど、

成長過程で失ってしまった幸せを感じる心を再構築!

というコンセプトの唯一無二の講座でございますキラキラ

 

 

 

 

 

カギ カギ カギ カギ

 

 

今まで

色んなセッションをやってきたけど

変われなかったって人は

最後の砦

「自分の中」

をやらないといけない

ってことだと思うよ!

 

「まだ気づいていない自分」

気付くことが何よりも

大事なんだよ!

 

 

キラキラ キラキラ キラキラ キラキラ

 

 

「福」と「空」

 

 

どちらも犬の名前です。

 

今更ながら、自分にピッタリな名前をつけたな。

と思うのですキラキラ

 

 

 

 

 

福と書いて、「ふう」

亡くなった旦那さんが付けたんだけど、

中国では、「福」を「ふう」と発音します。

 

 

 

 

私が、福(ふく)という名前が良い!と言ったんだけど、「ふく君」は言い辛いなと少し悩んでいた時、

 

じゃあ、「ふう」はどう?

中国では、福と書いて、ふうと読むよ。

と、教えてくれて、ふう君に決まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふう君が亡くなる数か月前から、

毎日、毎日、ふう君を亡くす事を考えない日はなくて、

すごく葛藤していく中で、

こう思う様になっていました。

 

 

 

「ふう君のおかげで、私は幸福というものを知ったな」

 

 

 

余祝じゃないけど、

先に、自分のこの先の未来を知っていたような気持になったのです。

 

あの日、ペキニーズの赤ちゃんを買ってきて、

その子に「福」と名付けた日に、

私の未来は、「福」となることが決まった。

 

 

 

 

 

 

ふう君の病気と死は、

私が選んだものは全て意味があってのこと。

そう確信する出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

次に、「空」ちゃんキラキラ

 

 

 

空ちゃんは、そのまま「そら」ちゃんです。

くうちゃんではありません(笑)

 

 

 

 

しかし、空ちゃんの存在が意味してるのは、

「空=くう」そのものですキラキラ

 

 

 

 

空ちゃんが「くう」を体現してるのをはっきりと感じたのは、ふう君が亡くなったその日のことです。

 

 

 

 

昼過ぎ頃からずっと調子が悪そうで、

ふう君を酸素室に入れたり、出したりが続いていました。

 

 

 

 

夜になるにつれ、どんどん悪化していき、

22時頃、酸素室の中で、

少し発作も治まったのか、寝付きました。

 

 

 

 

だから私も酸素室の前で少し寝る事にしました。

ずっと付き添っていたので疲れていたのです。

 

 

 

 

その時、空ちゃんは、

酸素室の前に寝ている私と、

酸素室の間に少しだけいました。

 

 

 

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24時を過ぎた頃、

ふう君が酸素室を出せ!と吠えました。

 

ダメもとで利尿剤を飲ませていたので、

おしっこに行きたくなったんだと思ったんです。

 

だから出しました。

 

 

 

 

酸素室から出たら、それはもうすごく苦しそうで、

いつもなら間違えずに一直線にトイレに行くのですが、

トイレとは真逆の方向に苦しそうに歩いて行ったのです。

 

 

 

 

私は何も出来ず、後を追っていくしかありません。

 

 

 

 

そしてフラフラながらもおしっこをして、

その後で、バタンと大きな音を立てて倒れました。

 

 

 

 

 

ただでさえ心臓発作で苦しそうだったので、

病院に連れて行ったり、延命処置をしたりなど、

これ以上ムダな事はしない。

と決めていたので、私に出来る事は、

ただただ見守るだけでした。

 

 

  

 

 

昔の私だったら大騒ぎしていたと思います。

目の前の事をただ眺めているなんて事は出来ませんでしたから。

 

 

 

 

 

その時が来て、

心臓が止まったふう君を毛布の上に移動させていた時、

それを少し遠くから全てを見ていた空ちゃんは、

何をするかと思ったら、

いつもの寝室に行って、自分のベッドに入り、

「ぐうぐうぐうぐう」といびきをかきながら、

ソッコーで寝始めまたのです。

 

 

 

 

ふう君が亡くなってから、

まだ2、3分くらいしか経っていなかったと思います。

 

 

 

 

空ちゃんがまるで何事もなかったかの様に寝始めたのは、意外な事でした。

何か特別な行動をすると思っていたからです。

 

近くに来て、確かめるとか、

そんな事をすると思っていたからです。

 

 

 

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ふう君が先に我が家に来て、

その半年後、空ちゃんがうちにやって来ました。

 

つまり、空ちゃんは最初からふう君とずっと一緒だった訳で、知能が高い犬が仲間を失って、

なんの感情も無い訳がないと思うのです。

 

 

 

 

 

おそらく、空ちゃんは空ちゃんなりに、

ふう君の死に対して思う事もあったと思います。

 

 

 

 

 

しかし全てを受け入れて、

寝た。

 

 

 

 

 

それも静かに寝るんじゃなくて、

いつも通りに普通に、

何も変わらずに、

がぁがぁといびきをかきながら寝たのです。

 

 

 

 

 

私はふう君の死を目の当たりにして放心してましたが、

空ちゃんは、一瞬で、何も無かった様に受け入れ、

寝たのです。

 

 

 

 

 

放心しながらも、旦那さんと笑いました。

 

 

 

 

ふう君が居なくなって、

空ちゃんがショックを受けてしまわないかと、

実は少し心配だったのですが、予想外でした。

 

 

 

 

 

 

ふう君がいなくなってから2カ月ほど経ちますが、

今の所、普通通りに暮らしています。空ちゃん。

 

ビックリする程、何も変わらずです。

 

 

 

 

ずっと空ちゃんを見ていますが、

何というか、凄いの一言だなって思います。

 

 

 

 

死を目の前にしても、

ありのままをありのままに受け入れて、

動じず、淡々と生きていく。

 

いつもどおり何も変わらない。

 

 

 

 

 

これこそ「くう」の指せる技だなと、

見ていて思いました。

空ちゃんが空ちゃん足る所以を感じていました。

 

 

 

 

 

エックハルト・トールさんの本にもちょうどその事が書かれているので、引用しますね。

 

 

 

~引用開始~

 

死は、現代文化が暗示しているような、特殊なことでもなければ、

人生の中で、もっとも忌むべき出来事でもありません。

 

 

それどころか、死は、

この世の中で、その対極に位置する誕生と同じく、

もっとも自然な現象であると同時に、

誕生と切り離すこともできないのです。 

 

 

死を迎えようとする人の側にいるときには、

この事実を自分自身に言い聞かせましょう。

 

 

誰かの臨終を看取る、というのは、

大いなる特権であり、神聖な行為です。

 

 

死にゆく人の傍らにいるときには、

その経験のどんな側面も否定してはなりません。

 

 

起こっていることも、

その出来事にまつわる感情も否定しないことです。 

 

 

自分はなにもしてあげられないという事実から、

無力感におちいったり、

あるいは、悲しみや怒りの気持ちに駆り立てられたりするかもしれません。 

 

 

それでもなお、自分が感じる気持ちを、

ありのままに受け入れるのです。

 

 

そのうえで、

さらにその一歩先のステップに進むのです。

 

 

誰かの死について、自分にはなにもできない、

という事実を受け入れるのです。

 

 

この事実を完全に受け入れてください。 

 

 

わたしたちには、

形態の死をコントロールすることはできません。

 

 

その経験のすべての側面を、心の底から手放すのです。

 

 

自分の感情はもちろん、

死にゆく人が経験しているかもしれない、

いかなる痛みも不快感も全部ひっくるめて、手放すのです。

 

 

あなたの放下の意識と、そこから生まれる静寂は、

死にゆく人を大いに勇気づけ、変容を容易なものにするでしょう。 

 

 

そのとき言葉が必要だとしたら、

それはあなたの中の静止状態から生まれるはずです。 

 

 

もっとも、言葉はあくまでも副次的なものに過ぎません。

そして、その静止状態からは、

「平和」という祝福がやってきます。

 

 

 

 

誰かの死について、

自分にはなにもできない、

という事実を受け入れるのです。

 

 

わたしたちには、

形態の死をコントロールすることはできません。

 

 

自分の感情はもちろん、

死にゆく人が経験しているかもしれない、いかなる痛みも不快感も全部ひっくるめて、手放すのです。

 

 

 

 

これはすごく難しいことです。

けれども、これが「ありのまま」だという事も、

分かります。

 

 

 

 

失って悲しいと思った気持ち、

発作が起こる中で何も出来ない気持ち、

けれど何もしないと決めた気持ち、

不安な気持ち、

死を責めたくなるような気持ち。

 

 

 

 

 

ふう君の死で、

ありとあらゆる気持ちが湧き上がりましたが、

それを一気に鎮静化させてくれたのが、

空ちゃんの「寝るという行為」でもありました。

 

 

 

 

ふう君は空ちゃんにとって、

私が思うよりも大切な存在だったかもしれません。

 

 

 

 

でも、そのパートナーの死を見届けて、

いつも通りに戻る。

 

 

 

 

ありのままの極意を見せてもらった気持ちでした。

「空=くう」とはこうゆう事なんだと。

 

 

 

 

全てを受け入れて、

全てを手放す。

 

 

 

 

 

 

私が、福と空と名付けた2匹の犬ですが、

彼らからは、大事な事を見せてもらい、

教えてもらっているなと思います。

 

 

 

 

 

そして、あれほどまでに病んでいた私が、

こうして「ありのまま」について考えられる日が来るとは。

 

 

 

 

 

あたらめて「自分に気づく」事の素晴らしさを実感した出来事でした。

 

 

 

 

 

辛い出来事。

死別するという事。

 

その中でも特に大事な人の死を、

ありのままに受け止められる様になるには、

それこそ、自分の感情の全てを感じて肯定できる精神力が必要なんだと思います。

 

 

 

 

そう考えた時、

今までの全ての経験に感謝の想いで一杯になります。

 

 

 

 

 

 

 

わたしね、死について考える事って、

すごく価値ある事だと思っているんです。

 

というか、地球上において、

これ以上価値があるものもないんじゃないかな?って思うのです。

 

嫌がる人が多いんだけど、

普段から「死」について考える必要があるのです。

 

 

 

そして、亡くなった旦那さんを始め、

大事な人を亡くせばなくすほど、

幸せになる事が私の生きている意味だと思うのです。

 

 

 

死んでいった人は、残した人にどう思うでしょうか?

残した人が大事であれば大事であるほど、

その人の幸せを願うのではないでしょうか?

 

 

だから、

それでもなお、自分が感じる気持ちを、

ありのままに受け入れるのです。

 

そのうえで、

さらにその一歩先のステップに進むのです。

その上のステップに進む必要があるんだと思うのです。

 

 

死を悲しい出来事で終わらせたらもったいなさすぎると思うのです。

 

だからこその、幸せの心を創る、だと強く思っているのです。

 

 

 

 

たまには、こんな風な真面目なトーンもいいでしょ!

 

 

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