久々の更新ですが、今回もいつも書いていることを
ひたすら繰り返しているような内容になります![]()
大きな意識(自分の本体・実体・正体)は
すべてが叶っている完璧な存在ですから、
その投影である現実世界でも100%叶っています。
「叶っている」のが前提・真実なのは
大きな意識においてだけではなく、
現実世界においても同様だということです。
ただ、より正確にいえば、
現実世界とはエゴを通した意識の投影です。
別の言い方をすれば、エゴのバイアスが
かかった上での世界だということです。
さらに別の表現で(あくまでも)ざっくりいうと、
自分が知識・価値観として持っているものが現れている世界
といった感じでしょうか。
「現実は認識」という言説がありますが、
そういう意味なんじゃないかと個人的に解釈しています。
(余談:ただ、「現実は認識」というと、
理想の現実を実現させるためには
自分の認識そのものを変える必要がある
といった観念が生まれそうな可能性があるので、
弊ブログでは積極的に使わないフレーズです)
さて。
願望を「願望」と定義するのも、
それを「叶った・叶っていない」と判断するのも、
いうなればエゴのバイアスです。
「願望は叶っている」と判断すれば、
現実でも「願望は叶っている」ように見え、
「願望は叶っていない」と判断すれば、
現実でも「願望は叶っていない」ように見えます。
この「定義する」「判断する」「見える」という動作は
すべて「エゴが行なっていること」です。
バイアスがなければ(エゴを通さなければ)
自分にとっての「すべてがすでにある」だけです。
「願望」という定義もなくなりますから、
「叶っている」というのも変な表現になりますね![]()
そうすると「エゴなんてなくなればいい
」と
思うかもしれませんが、エゴは消せません。
エゴがあるから「自分」の存在を自覚できるのですし、
そもそもエゴがなければ現実世界を知覚できません。
つまりエゴがなければ「ある」を知覚できないので、
「無」になってしまう、ということです。
だから、どうせエゴは消せないのですから、
(エゴの定義する)願望を実現させるためには現状に関係なく
エゴで「願望は叶っている」と判断する
エゴで「願望は叶っていない」と判断するのを止める
どちらかであればいいと書き続けていますが、
どちらもできないという声が圧倒的に多いですね……![]()
なぜでしょう![]()
エゴというものは、その特性・特質から
事象に対してエンドレスに反応し続けるからです。
『現実がそう見えないのに「叶っている」と判断するのは難しい』
『実際に叶っていないのに「叶っていない」と判断しないのは難しい』
『正反対のことばかり起きているのに「叶っている」わけがない』
『「叶っている」と判断できているのかどうかわからない』
とかなんとか考え、モヤモヤしたり、苦しくなったり
焦ったり、悲しくなったり、怒りが湧いたりします。
結局、エゴのそういった思考・感情は
現実や出来事や自身に対するただのエゴの反応です。
エゴがそうやって苦悩している間にも
自分は「すべてがすでにある」中に生きています。
なんだかんだで「すべてがすでにある」を
拒否しているのはエゴ自身です。
なので、荒ぶるエゴを鎮めるには、
エゴの思考・感情とは、
事象に対する反応として
自動的に流れてくるもので、
それ自体に力はないと知る
ことが、ベストなのではと思います。
そうすると、エゴで騒ぐのは無駄だとわかって落ち着き、
わざわざ「叶っていない」と判断することもなくなります。
それでも「エゴが落ち着かない、騒ぎが止まらない」
「現実が正反対なので叶っていると思えなくて苦しい」
「今、◯◯な状態で、どうしたらいいかわからない」
といった声が上がり続けるだろうと予測しておりますが、
その思考・感情はすべてエゴの自動的な反応で、
勝手に流れてくるものだということに留意してみてください。
つまりエゴが「そう思っているだけ」だということです。
繰り返しますが、
エゴがそうやって苦悩している間にも、自分は
「すべてがすでにある」中に生きています。
余談ですが、イメージング、アファメーション、
いい気分になる、今あるものに感謝する、
それらはすべてエゴが行なっていることで、
それら自体に願望を叶える力はありません。
そういったメソッド類を行うことで、
エゴ自身に「叶えていい」と許可を与えているのです。
その許可を与える行為もエゴが行なっていることです。
メソッド類は、エゴが「すでにある」という真理に
少しずつ近づいていくためのツールといえるかもしれません。
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おまけ:スージーのこまごま願望実現日記
子供のころ、ぶどうの形のキーホルダーがお気に入りで、
文字通り家の鍵につけて持ち歩いていたのですが、
いつの間にかなくしてしまっていました![]()
大人になってもそのキーホルダーのことをたまに思い出しては
切ないような、子供ならではの杜撰さに呆れるような、
それでいてノスタルジックな感じになっていました。
もう何十年も前のものですからまったく同じ製品はなくても
似たようなものがあれば欲しいと長年思っていました。
先日、なんとなくあるオンラインショップを見ていたら、
キーホルダーではないものの、似たような作りで
似たような色味のぶどうの形のピアスを発見しました![]()
即座にポチッったのはいうまでもありません![]()
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