突然ですが、最初にあらためてお礼を申し上げます。
いつもお読みくださる皆さま、コメントをくださる皆さま、
まことにありがとうございます![]()
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コメント欄にいただくご質問にはできる限り回答し、
また参考になるかもしれない過去記事を紹介していますので、
お時間のある方&ご興味のある方は
コメント欄のやり取りにも目を通していただくと
何らかのヒントがあるかもしれません……!
というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。
さて今回は、そのコメント欄にいただいたご質問に、
記事にするかたちで回答したいと思います。
(Nyaya様より:ありがとうございます!!
)
「現実はいないけど」の部分を
全く気にしないようになるまでは想定出来ていないのか?
そんなことはありません。
想定そのものは、ただ自分を○○と定義づけるor
○○という属性を与えるだけでできていますし、
(言い方はどっちでもいいです)
ふと「ま〜現実にはまだそうなっていないけどね」と思っても、
自分で取り消さない限りはそのままです。
ただ、「現実に(パートナーが)いない」
「現実に(欲しいものが手元に)ない」
「現実に(なりたい自分に)なっていない」
という現実に理性(エゴ)がフォーカスし続けていると、
想定をいつのまにか、無意識に取り消している可能性があります。
「実現できていない私」を強化してしまうのです。
また、スージーさんは当時(覚えてたらで結構ですが)想定した時に
「現実はいないけど」の部分とどう向き合っていたのでしょうか?
もしくは、全く頭をよぎる事がなかったのかお聞きしたいと思いました。
そのときの心境については過去に何度か書いていますが、
に書いたものが一番的確かなと思いましたので抜粋します。
(お時間がある方は記事もお読みになってみてください)
まあ、確かにこの瞬間に物理的なパートナーはいないけど
すでにいるので現象化するしないはもはや問題ではなく、
なるようになるよね
文章だけ読むとなんだかメチャクチャですが、
現実は現実、意識の中(想定)が真実
という区別がなぜかできていたのだと思います。
(当時まだネヴィル・ゴダード氏の想定の法則に出会っていませんでした)
「現実はいないけど」をどう扱うのか、
無視できないならそのまま抱えて想定すればいいのか…
ここでかなり悩んでいます。
はい、よくわかります![]()
「現実はいないけど」とやたら思ってしまうのは、
現実をガッツリ、ガン見しているということです。
外側に確証を求めているということです。
それまでパートナーがいないからパートナーがいない私だった
↓
パートナーがいるという属性を自分に与える
↓
(現実にパートナーがいなくても)パートナーがいる私になった
↓
そうなってはみるものの
物理的なパートナーがいないことをしょっちゅう確認
↓
パートナーがいないからパートナーがいない私に戻る
というパターンを繰り返してしまっているのですね![]()
物理的なパートナーが現れてからでないと
「パートナーがいる私」になれない
ってことは断じてありません。
物理的なパートナーの有無に関わらず、
パートナーがいるという属性は自分に与えられます。
そうしてただの純然たる「パートナーがいる私」になれば、
「パートナーがいる私」の世界が展開していき
やがてその真実に合わせるように物理的なパートナーが顕れます。
「パートナーがいる私」であるという確証を
どうしても現実から得たいのだとすれば
自分自身の存在を確かめてください。
身体を触ったりつねったり鏡を見たり
「あれ? 私今ここにいるよね?」と自問してもいいし……
以前どこかに似たようなことを書きましたが
自分の存在そのものが
「パートナーがいる私」である証拠
といえるでしょう。
パートナーの存在ではなく自分自身の存在です。
自分の存在そのものこそが証拠だということがわかれば
「現実にはパートナーがいないけど」と
理性(エゴ)がわざわざ思うこともなくなります。
ふと思ったとしても「だから何?」と言い返せます![]()
つまり、現実、外側の事象の中に
「○○な私」であるかどうかの確証を求めなくなるということです。
「パートナー」を例としていますが、
ご自身の望むものに当てはめてとらえてみてください![]()
日増しにコメント、リブログの数が増え、嬉しい限りです![]()
この場でいうのもなんですが、心の底から感謝申し上げます![]()
記事を気に入ってくださいましたら応援してくださると舞い上がります![]()
