みんな努力をしているのに
認識を変えるだけで願望が実現するのならそれは無駄なのでは
といった趣旨のコメントをいただきました。
(mimi様より:ありがとうございます!
)
まず、認識を変えると現実(世界)が変わるのは、
意識(内側)→ 現象(外側)
という順序で物事が起きているから
というのは、今までに何度も書いている通りです。
「その順序なのはなぜ?」と聞かれたら
「そうだから」としかお答えできないのですが![]()
納得できなくてもそのまま受け止めるのが最良かと思われます。
この原理が真実ならば、
願望を実現するのに努力は要らなくない?![]()
となるのもごもっともです。
結論からいいますと
努力してもしなくてもどちらでもよく、自分次第
というのが私の個人的な見解です。
想定の法則の提唱者ネヴィル・ゴダード氏は
現実に反映するまでの過程は考えなくていい
といった旨のことをおっしゃっており、私もそれに大賛成です![]()
しかしながら私個人としては
「○○な私」と意識で想定してから(自分に属性を与えてから)
現実に現象として反映されるまでの間に
「努力する」過程を含むのも含まないのも自分次第かな、と思います。
cf. 違和感を覚えたらプロセス込みで「○○な私」になってみる
ところで、
「努力しなくてもオリンピックで金メダルを獲れるの?」
という疑問が例としてよく取り上げられますね(そうでもない?w
)
ここからはあくまでも私見ですが
実際に金メダルを獲る人は前提として
「私は金メダルを獲る」とどこかで決心or確信しているのだと思います。
「今までそこそこに頑張ってきたし獲れたらラッキー」
「まあまあ自信があるからひょっとしたら獲れるかも」
「無理っぽいけどうっかり獲れちゃったら奇跡」
「獲りたいけど今回は獲れなくてもいいや」
ぐらいの感覚の人もいるかもしれません。
いずれにしても「獲れる可能性がある」ことが前提です。
そして
金メダルを獲る私を想定
↓
(大変な努力をしているように見える過程)
↓
金メダル獲得(現実に反映)
という順序で物事が起きるとします。
(大変な努力をしているように見える過程)はあくまでも過程です。
努力をしたから金メダルを獲れた、と見えますが
金メダルを獲る私になったから努力のような過程が生まれた
という順序です。(原因→結果ではなく、結果→原因)
そして、人によってその過程は
本人にとって血の滲むような努力をするのが「当たり前」だったり
努力とは思っていなくて単にトレーニングや練習が楽しいのだったり
もともとそんなに練習をしなくてもさらっとできる能力の持ち主で
周囲の人々が勝手に「あの人は人の何十倍も努力したから」と思っていたり
するのかもしれません。
(可能性は無限大に考えられます)
ただ、本人が
「どんなに努力しても私の実力では金メダルは絶対に無理」
と心の底から思っていれば実際に獲れないし、
「努力したら金メダルを獲れるかもしれないし、獲れないかもしれない」
と思っていたらやはりその通りになるでしょう。
結局は本人が信じていることが現実になっているということです。
金メダルの例は極端にしても、世の中の多くの人々が
努力や苦労なしでは願望は実現しない
努力をしても願望が実現するとは限らない
努力が報われないことは多々ある
といった認識・信念を持っているのが実際のところかと思います。
だからそのとおりになっていて苦しいのですね![]()
「努力抜きではどうにもならない」と思うのなら、せめて
努力すれば願望は実現する
と認識を変えるのもいいかもしれません。
そういう人にとってけして努力は無駄ではないですし、
願望を実現させるアイテムとして必要不可欠になります。
努力なんかしたくないと思えば、
努力しなくても願望は実現する
でも、もちろんいいでしょう。
努力込みの過程を選ぶか否かは、やはり自分次第だといえますね![]()
日増しにコメント、リブログの数が増え、嬉しい限りです![]()
この場でいうのもなんですが、心の底から感謝申し上げます![]()
記事を気に入ってくださいましたら応援してくださると舞い上がります![]()
