想定の法則の権威、ネヴィル・ゴダード氏は著書で
あなたはすでになりたいものになっています
とおっしゃっていました。
ネヴィルさんの言うことが真理ならば
我々は何にでもなれるということですよね![]()
そうすると「才能や素養がなくてもなれるのか?」
という疑問がわいてきます。
それが真理ならば可能だということですよね![]()
私はこの言葉を目にしたとき
「ひょっとしたらメタ認知能力が低いほうが想定の法則が作用しやすい?」
という疑問が頭の中をよぎりました。
メタ認知とは心理学用語で、ざっくり簡単にいえば
「自分には何ができて何ができないか」「どの程度できるか」
といった判断を、客観的にできる能力のことをいいます。
メタ認知能力が高い人ほど自分の能力を把握していて、
低い人ほど自分の能力がわからず、さらに過信もしやすいのですね![]()
たとえば「漫画家になりたい」と願うなら、自身が
「プロの漫画家である私」と想定すればそれは可能でしょう。
でも、実力のほどがどうであれ、
客観的に見て自分の実力はプロレベルには及ばないと思っていれば
「プロの漫画家である私」と想定するのはなかなか難しいかもしれません。
一方、メタ認知能力が低いと自分のレベルがわからないので
たとえプロレベルには到底及ばない実力だったとしても
「プロの漫画家である私」とすんなり想定できるかもしれません。
……どちらがいいのだろうとしばし考えました。
一見メタ認知能力が低いほうがガチャゴチャ考えないし、
自分の能力を純粋に信じられるので(実際は過信なのですが)
実現しやすいのかなぁと思ってしまいますね。
でも、メタ認知能力が低いということは、
自分を客観的に見られないということですから
そもそも漫画家になりたいのかどうかもわからない可能性があります。
何となく面白そうだからとか、一度当たったら儲かりそうだからとか、
誰かに「絵が上手だから漫画家になれば?」などと
おだてられたのを真に受けてしまったとかで、
本願だと勘違いしているだけかもしれません。
その場合、物理現実で「プロの漫画家である私」になれたとしても
想像と違うと感じたり、すぐに飽きてしまったり、
仕事がうまくいかなくて苦しんだりする可能性があります。
だからやはり、自分には何ができるのか、何が好きなのか、
何が得意なのか、何をしていると充実感を覚えるかといったことは、
客観的にある程度把握しているほうがいいかと、個人的には思います。
cf. すべてを持っている自分を信頼すると理性の勘違いをスルーできる
漫画家の例でいうなら、漫画を描くことが心から好きならば
「今の実力ではちょっと無理かな……」と感じたとしても
意識で「プロの漫画家である私」にはなりにくくても
「プロの漫画家になる私」であり続けることはできます。
作品を描き続けているうちに実力が伴っていったり、
プロになるチャンスが訪れたりして、現実が想定に沿っていくでしょう。
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