前回からの続き(1月11日のこと)です
東大路通りを下って(南下して)行きます
右手に解説のあるお寺があったので、寄ってみることにしました
解説板があると止まってしまうという🤣
宝福寺

住所・京都市東山区東大路通五条上ル小島町143-14
御本尊・地蔵菩薩(南無地蔵・親恋地蔵)
HP・宝福寺 札所・京都時宗道場(第4番)
駐車場・なし
歴史など
詳しくは下に譲るとして、書いてないことを補足として
元は鳥部野の北にあり
墓地を管理して南無地蔵の名で知られた
中世以降鳥部野道場と呼ばれるように
大正初年、現在地にあった荼毘所跡に地蔵堂を構えて再建
再び荒廃し、その頃御本尊は長楽寺に仮安置される
(京都大事典参照)
宝福寺の由緒

宝福寺の由緒
奈良時代の聖武天皇の時代、天平5年(西暦733年)に行基菩薩が当寺を開基(京の五三味、葬場の一)。当寺が名勝地であり、四方に竹林で囲われていたので、山号を「鶴林山」と称した。
平安時代に隆盛をきわめた貴族の御堂関白藤原道長は治安3年(1023)、この地に葬られる (栄華物語)。承和2年(1346)に新京極の時宗金蓮寺(現、鷹峯)の末寺となり、「鳥部野道場」とも称せられた。
当寺のご本尊の地蔵菩薩は「南無地蔵さん」とも「親恋(おやごい)地蔵さん」とも呼ばれたが、当寺のご本尊の「親恋地蔵尊縁起」によれば、昔、丹波の国の母親が、行方不明になった娘を探して下さるように、 当寺のお地蔵さんに祈願される。帰途中に一人の旅のお坊さんに出会い、杖で指された田んぼを掘ると、その土の中から娘の亡骸が発見される。その母親はお礼参りに当寺のお地蔵さんにお詣りすると、お地蔵さんの杖に土がついており、そのお坊さんが当寺のお地蔵さんの化身であったことを知り、篤く信仰されることになったという。それより「親恋地蔵さん」と呼ばれ、当寺の不思議なお地蔵さんを「縁結びのお地蔵さん」として多くの人々に信仰されるようになる。
なお、近年の大正時代に東大路通が拡復整備されたため、当寺の山林は二分され、当寺をはじめこの地域の景観はすっかり変わってしまったことを付記しておく。
平成30年4月吉日
鶴林山宝福寺
(原文のまま)
境内は狭いです
山門くぐったらそこが地蔵堂
地蔵堂

アップで

右手に石仏などがありました

解説

六十六部廻国聖惣墓
「六十六部廻国聖」とは、正しくは 「日本迴国大乗妙典六十六部経聖」といい、平安時代後期より滅罪と豊穣祈願に 『法華経』六十六部を写経し、これを日本全国(当時六十六ヵ国)の霊仏霊社に納経するために廻国した巡礼者のことをいう。
日本全国六十六ヵ国を巡ることにより、より多くの功徳を積もうとしたもので、 西国三十三所観音霊場巡礼納経や四国八十八カ所お遍路巡りなどの納経帳に派生する。つまり御朱印の起源となる宗教儀礼である。
時が移り江戸時代には、罪人が滅罪のために六十六部廻国に身を捧げた。その巡礼者たちに生涯終焉の場を当山宝福寺が「六都墓」として提供した。
この墓石は天保12(1841)年に建築されたものである。
時が移り江戸時代には、罪人が滅罪のために六十六部廻国に身を捧げた。その巡礼者たちに生涯終焉の場を当山宝福寺が「六都墓」として提供した。
この墓石は天保12(1841)年に建築されたものである。
(原文のまま)
アップで

確かにこちらは天保12年と読み取れます

左手に寺務所があるのですが、在中はされてないようです
ただ窓口に、3軒左隣へ来て貰うと対応しますというようなことが書いてあったので、そちらへ行ってみました


