卒業したので カミングアウトします | ドレミソラ♪

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ネコの兄妹、ソラとドレミとの暮らしぶりを記録しています。大学生長男次男の話もたまに… と言うかこっちの方が多かったりも?


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自分の中の区切りとして書いています

興味の無い方スルーでもかまいません

ごめんなさいめちゃめちゃ長いです

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今から約20年前

大学病院で甲状腺がんと言われました

まだ、20代後半、結婚して3ヶ月後の出来事でした


がん?私が?なんで?

甲状腺って、何?


先生の説明が上手く入ってこず

あとで甲状腺の本を買いました。


それでも事態が良く飲み込めないままバタバタと。

仕事は当時は派遣だったのでそのまま契約終了、

入院、手術となりました

手術は予定より2時間オーバーして7時間かかり

無事終了、全摘です

術後は驚くほどしんどくて

ごはんもなかなか飲み込めず



副甲状腺もほぼ無くなったのでカルシウムを作れなくなりました

不足するとビリビリ痺れるため点滴と退院後の生活のための投薬調整をしたのと

反回神経を少しやられ、声がうまく出ず

(今もカラオケは出来ません!高音低音の音域が狭くなり凄まじく音痴←元々か??笑笑)

そこから1ヶ月入院、

退院後は一生ホルモンとカルシウムのお薬を飲む人生となりました。

全然良いんですよ、生きてますからね~。



退院した後

親から病名を親戚に話すなと言われました

みんなビックリするからダメだと…

親しい友人には話していた時期だったので驚きました

「がん」という言葉に破壊力は確かにありますが

隠さないといけないことなの?


そんな時

仲良しだと思っていた友人が見舞に来てくれ

病気のことを打ち明けると

帰った後に「ダンナと帰り待ち合わせしてるねん、今日は◯◯(私)のネタあるから会話に困らんわ~」とメールがきました

話すのは構わないけど私にたいして「ネタ」だなんて言わないでほしい

と返すと友人に被害妄想だと怒られました

私が悪かったのかな…入院中疲れていたので

面倒になりこちらから謝りましたが

そこから彼女とはなんとなく疎遠になりました

その辺りから人には言わない方が良いのかなと思うようになりました





手術のあと、やった方が良いと言われた放射線治療は

子供がほしかったので後回しにしました。

治療をすると何年かは子供を作れないと言われたからです

甲状腺がんは他のがんと違い

一部を除きゆっくり進行するがんです

先生と相談し

急いでやらなくてもいいと言う判断をしました



退院して半年して

長男を授かりました

病気しても、妊娠できた

嬉しかったな



近所の産院では断られ

大学病院で出産しました


病名をごく一部の人にしか言っておらず

「大学病院で産むなんて人、聞いたことない!」としつこく言われて傷ついたこともありました







2人目を望むなら

急がないといけません


長男の断乳をし

しばらくして次男を授かりました

2人目も妊娠できた

本当に嬉しかった


次男のときも近くの産院では断られました

甲状腺の主治医からは大学病院で産まなくてもいいと言われたと話しても

「甲状腺を甘く見るな!」と叱られました


でも妊娠して長男を連れての大学病院通いは

できるとは思えず

妊娠中でももちろん

甲状腺の方の通院はあったんですけど

妊婦健診はもっと頻繁です


それに、、近所の産院で産みたかった

大学病院で産んだと言って

いちいち驚かれる会話をもうしたくなかった…


別の産院にも行ってみまして

OKもらえました

めちゃめちゃ嬉しかった。

あの先生には感謝しかありません。もう亡くなられましたが…





次男を出産し、授乳

授乳している間は治療はできません

断乳後も幼児と接する為

治療は出来ませんでした

強い放射線のため

子供が被爆してしまうのです



特別な治療をしていなかったため

そのうち少し

がんのことを忘れるようになりました

毎日の薬と

年に4回通院はありましたが

それ以外は普通に暮らしていました


その頃他のママさんが何人か病気になりました

瞬く間に噂が回りました

親切心からのものがほとんどでしたが

悪意のあるものもありました

怖くなりました

私ががんだと知られたら

こんな風に噂されるのかな


私は子供たちがわかる年齢になったら

本当の病名を

私の口から話したいと考えていました

それまでは喉の病気で病院行ってるんだよとだけ話していました

旦那にも親にも

がんだということは

黙っていてもらっていました


私の口から話す前に

たとえ親切心からであったとしても

他人から子供たちに知れることになったら…

それが原因でもしもからかわれるようなことになったら…

ゾッとしました

子供たちが傷つくことは絶対にしたくない



子供を連れての大学病院通いは

年に数回とは言え

待ち時間も長く(3時間4時間はザラですよねー?)

結構大変でした

母に頼れる時もありましたが

連れていくことも多かった

幼児雑誌持参で、付録作ったりして時間を潰しました

長い待ち時間そうやって過ごしたのは

ちょっと楽しい思い出でもありますが

楽ではありませんでした




そんな中すこしずつ

ママ友さんが「うちでみとくよ!」って言ってくれるようになりました

「前もってわかってるんやったらその日は開けとくよ!いつでも言って!あかん時はちゃんと断るから笑笑」

待ち時間に行き帰り含めたら6時間くらいという長い時間

お家で預かっていただけて

涙が出るほど嬉しかった


そうやって

たくさん親切にしてもらった

仲良しのママ友さん達

心配ゆえ病気のことを聞いてくれていたのに

病気の事を濁すのは心苦しい時もありましたがそれでも

誰にも話さずにいました







そして手術から9年経ち

がんが再発しました


ショックでした

いっぱい泣きました


でも放射線治療をしておけば…とは全く思いませんでした

治療をしていたら

長男と次男は存在しません

これで良かったんです



それでも

周りに知られたくなくて

春休みにこっそり手術しました

子供たちは私の実家にお願いしました。

退院して

知らん顔して新学期を迎え幼稚園の役員をし

行事もこなしました




一年経ち次男小学生になりました

子供に触れることも少なくなってきます


二度の手術で手術の部分は癒着しています

次の再発をできるだけ防ぐため

放射線治療をすることに決めました



震災後、福島の原発のお話から

福島からの転校生がツラい思いをしているニュースを見ました

私が放射線の治療をしたら

私自身は被爆します。

退院する頃には数値も下がっていましたし

子供には寄らないように生活しました

食事の準備も手袋をはめ

少しの間、子供たちとは違う部屋で眠りました

日常、外で会うようなレベルで

私から被爆することはありません

子どもから被爆することなんてもっとありません



でも

もしかしたらそれを知った人達は

誤解から

私と

うちの子達を避けるかもしれません


私のせいでそんなことがあってはダメです





放射線の治療は

いつもの薬を抜かなくてはいけなくて

食事の制限もあって

体がだるくて動かない

じんわりツラくて


それでも誰にも言いませんでした


食事制限のあと

4日間入院して治療をしました

母が来てくれ、子どもを学校に送り出してくれました





退院した日の夜、次男に「一緒に寝よう」と言われました、でも、

私はこどもにしばらく触れない

次男を被爆させるわけにはいかない

つらかった

次男には理由を言わず断りました

外でうっかり話してしまったらと思うと話せません

それからは一緒に寝ようと言ってくれなくなりました

仕方ないですよね





長男が小学校を卒業するタイミングで

長男に打ち明けることにしました


実はがんだったこと

がんと言っても世間一般で言われるような悪いものではないと言うこと

実際に生きてるし元気だし

話がわかる歳になるまで待っていたと言うこと

今まで黙っていてごめんねと謝りました

もっとうまく話すつもりでしたが

結局端的にしか話せませんでした



「他のお母さん、入院なんか何回もせーへんから何かあるんやろなーとは思ってた、がんとは思わんかったけど」

長男なりに、思っていたことはあったようでした

もしかしたらもっと早くに話しても

理解してもらえたのかもなとも思いました

でも今でもそのタイミングまで黙っていたことに

後悔はありません






その何ヵ月か後に

次男にも話しました


こちらはあんまりわかってなかったみたいで

あっさり「へーそうなん?」って感じでした


私がものすごくツラくてキツかった、

退院した夜の寝ようって言ってくれた話は

とっくに忘れてしまっていました

でもきっと心のどこかに

幼い自分と一緒に寝てぎゅってしてくれなかったお母さんの姿は残ってるはず

今でも胸がいたいです





子供に打ち明けたことで

少しずつ周りの人にも

機会があれば言えるようになりました

だんだん周りも年を取り

病気が身近になっても来ています

20代の頃と違い言いやすい環境にもなりました





そしてこの度

再発から10年経ち

20年近くお世話になった主治医の先生を

卒業することになりました

イケメンだった先生は

定年間近のオジサンになりました(年月!)

「30年経って再発する方もたまにいますが

ほとんど無いと思います。もしかしたらあるかもしれないけど…僕が出来ることは全てしっかりやりました」

先生にお礼を言って卒業です!

これからは近所の耳鼻咽喉科で診てもらいます

一生のお薬はありますが

今まで頑張った!誉めて良いですよね笑






別にここでわざわざお知らせするような事ではなかったのかもしれません

でも私にとっては

人生の大きな節目となりました

記録として

そしてなんだか

人に聞いてもらいたくなりました




がんになって良かった!なんて全く思いませんが

がんになって色々考え、気づき、見つめ直すことは多かった

私は幸せなんだと気づきました




病気に限らず

人はいつ死ぬかわかりません


もし私がいなくなっても大丈夫なように

小さな頃から

一通りの家事を子供に教えました

きちんと出来なくったって良いんです

私だって出来てない笑

ふわっと、こういう風にうちはするんだなって

思ってもらえたらそれで。


そしてそれは私の今の楽につながっています笑




再発してからは特に

子供とはたくさん遊びました!

今でこそ、関わりは薄いですけど。



断捨離もその影響

見られて困るものも

たぶんもうありません



今日もし死んでも

私の人生、まあまあ良かったよねって

思えるように

生きていこうと思っています


後悔するとしたら

猫を残していくことかなと思うくらい







こんなことをつらつら長々と書きましたが

今はもちろん

とっても元気なんです

死んだらの話なんてしてますが

生きる気満々ですし長生きする気満々です!



心配させてしまったならごめんなさいね




最後まで読んでくださり

ありがとうございました


今まで支えてくれた周りのみんな

そしてブロ友さまにも感謝です!





みんなありがとうおねがい