7月号の到知出版社の月刊「致知」 の連載鈴木秀子先生の「人生を照らす言葉」の挿絵です!
今回は、茨木のり子さんの「苦しみの日々 哀しみの日々」という詩がテーマです。
苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど
さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれは自らを養うに足る時間であったと
少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうするものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)
苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである
受けとめるしかない
折々のちいさな棘や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには 自己省察の要素は皆無なのだから
ちょっと気持ちが悪いかもしれませんが、心臓をモチーフにしています。
詩の中の「心臓も凍結」という表現と、「人の痛みも柘榴のような傷口も」という箇所から、こんなイメージが出てきました。
そして、「受け止めるしかない」という最後の言葉に大地に沁み込む柘榴の実が痛みの血のようで、それを受け止めるしかないというイメージでしょうか。
私は結構心はいつも痛い感じがしています。一番、親密な感覚は「痛み」かもしれません。
でも、今日昔から私は身体のあちらこちらが痛いので、一度きちんと自分と向き合って、なぜ痛いのかを見ないといけないなあという話をしたばかりでした。
心臓が柘榴の赤のような血を流している感覚というのは、割とあるんですね。
でも、もう痛みなんて感じなくてもいいのかもしれないけれど、「受け止めるしかない」という感覚も、最近初めて感じるようになったものでもあります。
そんなこんなで、今回は割とすんなりイメージが湧いて描くことができました。
