以前 投稿させて頂いた
こどもの頃の生活に少しだけ触れた記事を投稿させて頂きました。

その時期に起きた もう一つの有難い出来事を
ここで記録させて頂きます。

※画像はお借りしました

こどもの頃、父親の入退院の繰り返しから
我が家のライフラインは 頻繁に遮断されました。

日々 緊張感のある生活でしたので
両親が こどもに話さない事や
不安を抱えている顔を見ると
お母さんを安心させたい。
お父さんを安心させたい。
そういう気持ちが募っていきました。


学校で 嫌がらせを受けても
誰にも言いませんでした。


うちが今 抱えている事を 誰も知らん。
普通に学校へ行って、普通に帰って
その後 家で何が起こっとるか とか
誰も知らん。

こげん事して うちが傷つくと思っとると?
こげん事して うちが困ると思っとると?

うちは
もっともっと厳しいことと戦っとるんや。
あんた達に何の影響も受けん。
易々と凹んどられん。
しっかり立たんといかんと!!


トイレの中で ホースで水をかけられ
びしゃびしゃに濡れ
無言で解けた靴紐を結びながら
心の中で 強く強くそう自分に誓った14歳。


殴られて 顔が分からなくなるほど腫れても
誰かに打ち明ける事はせず
適当な理由を付けて ヘラヘラと していました。

※画像はお借りしました


時期に、今のマンションでは生活が難しいからと引越す事になりました。

ところが 家の中は 
トラブルにより
家中の壁に穴が空いたり
ヒビが入ったりと
壊れている場所が多数ありました。

その為
マンション退去時の請求書には
滞納の家賃に加え、修理代の
高額な金額を提示されました。
勿論、我が家には その全てを払うお金が無い為
少しづつ 支払って行く事を約束をしていました。


引越し先の家には時々  前のマンションの大家さんがやって来て 徴収に来られていました。


母親はいつも頭を下げながら 
財布を大きく開き
10000円、 3000円など その時々に差し出し
すみません、、
今日はこのくらいしかなくて ごめんなさい
と言う日もあれば

今日は ないのです。
ごめんなさい、ごめんなさい、、
と 渡せない日も多々ありました。


徴収に来られた時は わたしも玄関先へ行き
心臓をバクバクさせながら
一緒に すみませんと謝りました。

※画像はお借りしました





引越して  半年も経たないころ
大家さんが我が家に 徴収に来られて
母親にこう言いました。


●●さん 今 どれだけ払えますか?
今 最大でお支払い出来るのは
おいくらでしょうか?

5000円です。これが精一杯です。

わかりました。

あのマンションを改装する事になりました。
お部屋を新しくしますので
どのみち工事をする事になります。
今 受け取りましたので、もう ここには参りません。もうこれで大丈夫です。


え?・・・・


まだ たくさんの未払金がありましたが
それ以来
徴収に来られる事も、請求される事も
電話をかけてくる事も 一切ありませんでした。


大家さんが帰宅後
母と泣いて感謝しました。
大家さんに 有難うを言葉にしてはいけない事をこどもながらに察しました。


想いなんだ、、想いで精一杯感謝するんだ!
心の中で 感謝の気持ちが込み上げて
パニックになりそうなほどでした。



わたしは母親の肩を激しく揺らし言いました。

母さん、よかったね!
お母さん、本当に本当によかったね!えーん
こげな事は普通はないよね。
奇跡やん

わたしは家中をぴょんぴょん飛び回りました。

して貰った事は 
今度は誰かに返していかんといけんね!


ヘトヘトに疲れきった母親が 

本当ね、 りもちゃん。
本当ね、、、
と言い
その時  母親のホッとした笑顔
緩んだ顔が忘れられません。

※画像はお借りしました




その年、わたしは ようやく16歳になりました。

やっと 働きに出れる!!
ただ 費やすだけじゃない!
わたしも 糧になれるんだ!!

高校ではアルバイトを禁止されていましたが
途中でバレて やめさせられては
元もこうもないと思い
学校で とても怖かった生活指導の先生の所へ出向いて 直談判へ行きました。

どんなに規則があっても
正直に話し 真っ直ぐに相談すれば
絶対に受け入れてくれると 信じていました。


いつも怒鳴っている怖い先生でしたが
わたしの話を聞いて下さり

りもっち 頑張れよ!!
なんかあったら 1人で抱えんなよ!
先生 なんでも相談に乗ってやるからな!

そう言って
背中をポンポンと押してくれました。



それから 先生と廊下で すれ違うたびに
りもっち 頑張っとるか?
と 声を掛けて下さいました。





時給630円の定食屋さんのバイトを
学校から帰宅すると走って向かいました。

働かせて頂ける事が とっても幸せで
それは 夢中になって働きました。

家庭の少しの足しになれる喜び
妹にクリスマスや誕生日プレゼント、他にも何か買ってあげられる喜び
自分の生活費を親に頼らず自分で払える喜び

はたらく事によって 自分の居場所が出来、
素晴らしい時間に感謝していました。





いつしか  

同じバイト先で働く 大学生と
お付き合いする事になりました。


ある日 並んで自転車を漕いでいる時に
彼は指を指しました。
りもっち〜 これね 親父のマンション
ほら!●●●ってかいとーやろ?


なんと そこは 紛れもなく
我が家が以前住んでいた、
あのマンションでしたびっくり

思えば 彼の苗字がマンション名の中に
アルファベットで入っていることに気付きました!!


えー!!
あの 徴収を免じて下さった方が
彼のお母さん!!??
溢れそうな驚きを心の中で沈めます。。。



ずっと前 住んどったよ!
やっと出た 一言でした。



わたしは このご家族とご先祖様に
知らないところで 支えられている事に気付きました。


その大学生の彼は
その前に 一年ほどお付き合いしていた彼に振られた わたしを慰めてくれて 側にいてくれたのでした。
偶然にも彼のお姉さんが わたしと同じ名前でした。




母親に口止めをされていた為
彼には マンションの事を話す事はしませんでした。






1人でいる時  涙を拭きながら
有難うの言葉が口から溢れてきて
空高くに向かって祈りました。

この 伝えられない 有難うが
空から伝わって 
彼やそのご家族に
何らかの形で還元されていきますように。
※画像はお借りしました




彼とはその後も真面目に交際していましたが、
わたしの身体に様々な異変が起こり始め
インスピレーションは益々冴え渡ってきました。

わたしが生きている事を証明したい、、
誰から言われたでもなく
ふとそんな感情が湧くようになりました。


精一杯今日を生きるには
精一杯 今を刻まないといけない。
今を整えていたい
わたしには時間がない!!


虫の知らせのように
自分に残された時間を察するようになり
彼には十分な感謝の気持ちがありましたが
1年を過ぎた頃 お別れする事にしました。


ほどなく 
病院へ行かなかったわたしの救いとなる
学校の健康診断で異常が見つかり
緊急入院、車椅子での移動となったのでした。
→それ以降の話は なんとなく過去記事に触れています。


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あってはならない奇跡でした。
本来なら、許されるはずのない 許しでした。


わたしは ずっと この感謝を抱えたまま
今も生きています。


親同士、子同士 お世話になり
支えられたご恩を
わたしは一生忘れる事はないでしょう。


奇跡というのは
ラッキーとか 
運が良いとか
そんな簡単な事ではない。



言葉にしない 様々な優しさと思いやりが
奇跡を運んで 運命を作っていく。




わたしは これまで受けてきた沢山の奇跡に
還元した生き方が出来ているだろうか、、。
※画像はお借りしました



ブログも 投稿している人にとって
様々な用途や目的があると思います。


素敵な方々と巡り巡って出会い、
先輩方の言葉に
内観をより一層 深くさせ、
目を逸らしてきた 自分自身を こうして表現する事にも繋がりました。



肉体よりも先に 
心が出会いましたね。


出会って頂き
有難う御座います。


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会うべき糸に 出逢える事を
人は
仕合わせと 呼びます。



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