こんばんは。

やっと1週間が終わったー!

でも体調イマイチ。

週末にちゃんと治さないとなー。


さて、今日は本の話題です。

ちょっと前に読み終わったのですが、この本を紹介いたします。

1Q84 BOOK 1/村上 春樹
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この本を読んで、まずはヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を聴きたくなりました。

いろんな場面で出てきて、演奏の描写がだんだん細かくなていくにつれ、余計聴きたくなりました。


この本は主人公が2人いて、交互にその話が進んでいきます。

どちらも魅力的な話です。


村上ワールド炸裂ですねえ。

読んでいて、映像化のときのことも考えてしまいました。

立川がほんのちょっとだけ出てきたのですが、ここは映像化されてもはしょられそう。笑


BOOK1で気になった、気に入った箇所をあげます。


今でも誰かと面と向かって話をしていると、緊張して言葉がうまく出てこないことがある。

少人数のグループに入ると、もっぱら聞き役にまわった。

しかし教壇に立ち、不特定多数の人々を前にすると、頭がすっと晴れ渡った状態になり、

いくらでも気軽に話し続けられた。

人間というのはよくわからないものだ、と天吾はあらためて思った。


この部分は私の中のあるあるにあたるのかなー、人間って不思議ですよね。



答えたくない質問は、あるいは答えるつもりのない質問は、あっさり無視してしまう。

まるで聞こえなかったみたいに。小松と同じだ。彼らはそういう面では似たもの同士なのだ。

天吾はそうではない。何か質問されれば、それがたとえどんな質問であれ、律儀に何かしらの答えは返す。

そういうのはきっと生まれつきのものなのだろう。


これも・・・最近よく思うことがあります。

私は聞き役になることが多く、生真面目というかいい意味でも悪い意味でも真面目。

だから、他の人があっさり流すことが流せなかったりする。

生まれつきなのかなー?育ってきた環境なのかなー?とか考えたりしてしまいます。

でも、なぜかだんなといる時だけは私の方がよく話す人です。

青豆は言った。「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んで

いるような気になっているけど、実は何も選んでないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ。」


深い・・・。

人は脳の拡大によって、時間性という観念を獲得できたわけだが、同時に、それを変更調整していく方法をも身につけたのだ。人は時間を休みなく消費しながら、それと並行して、意識によって調整を受けた時間を休みなく再生産していく。並大抵の作業ではない。脳が身体の総エネルギーの四十パーセントを消費すると言われるのも無理はない。


脳がエネルギーを消費することについては私も納得!

よく脳を使うと甘いものが食べたくなるって言いますよね。

ちょっと前にやってたドラマとかでもそういう主人公多かったですよねー。

私は仕事中とか甘いもの食べるとやっぱり違うと感じます。

脳で消費しているんだなと感じています。

今ある月ひとつだけでもじゅうぶん人を狂わせるんだから、月がふたつも空に浮かんでいれば、人の頭はますますおかしくなるんじゃないかってこと。潮の満ち干だって変わるし、女の人の生理不順も増えるはずよ。まともじゃないことが次々に出てくると思う。


つい最近ですかね。いくつかこういう文章を読む機会があり、月と女性の関係について考えました。

女性って不思議ですよね。
妹が出産した時に、いろいろなことを知りました。
私は出産経験がないので、まったく知らなかったのですが、陣痛って夜起こることが多いんですね。
知らなかったー!
月が見える時間になってからなのかなー?


1Q84 BOOK 2/村上 春樹
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僕は誰かを嫌ったり、憎んだり、恨んだりして生きていくことに疲れたんです。

誰をも愛せないで生きていくことにも疲れました。

僕には一人の友達もいない。ただの一人もです。

そしてなによりも、自分自身を愛することすらできない。

なぜ自分自身を愛することができないのか?

それは他者を愛することができないからです。

人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分自身を愛する方法を知るのです。


全然話変わりますが、最近「ホタルノヒカリ2」の再放送にはまっていました。

綾瀬はるかさんが他の番組で印象に残ったセリフがあってそれが今日の放送の最初にあったのですが

「自分の幸せがわからない人間は、人を幸せにすることはできない。」って言葉でした。

それと似ていますよね。特に村上さんの最後の2行、とっても響きます。

人間は誰かに愛されて、それによって、自分や誰かを愛せるのだと私も思います。

痛みは多くの場合、別の痛みによって軽減され相殺される。

感覚というのはあくまで相対的なものだ



「ほんとうというのはどういうこと」とふかえりは疑問符抜きで質問した。


ふかえりという人物が出てきます。

こんな風に聞かれたらなんで答えたらいいのだろう。。。

「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。

「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目もふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。

言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」


タマルは結構好きな人物です。
私の中では、なんかレオンまではいかないまでもそんな雰囲気のイメージ。

いつでも守っていてくれるようなあたたかい人。本当はね。っていう感じです。

説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ


そうなのかもしれない・・・と思ってしまった一文です。
説明しなくてもわかる。


1Q84 BOOK 3/村上 春樹
¥1,995
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「それを読んであげているの?」

天吾は肯いた。「聞こえているかどうか怪しいものだけど」

「それでも、いいことだと思う」と看護婦は言った。

「いいも悪いも、ほかにできることを思いつけないから」

「でも誰もがみんな、できることをするわけじゃない」


病床の父親に本を読んであげている主人公が看護婦と話しているシーンです。

最後の一文が心に刺さります。

「今日は曇りだから月は出ないと思うけど、今度晴れたときに見ておくようにする。

つまり、もし覚えていたらだけど」

天吾は礼を言って電話を切った。もし覚えていたら。それが数学科出身者の問題点のひとつだ。

自分に直接関心のない事象に関しては、記憶の寿命はびっくりするほど短い。


これも最後の一文が別の意味で刺さる。

私はこういう人間だ。自分に興味があることはとても熱心だが、そうでないことに関しては

必要なことでも頭に入ってこない。よくないところだが、治らない。

田村看護婦は出ていく前に、遺体に向かって軽く手を合わせた。

天吾も同じことをした。人は死者に自然な敬意を払う。

相手はついさっき、死ぬという個人的な偉業を成し遂げたばかりなのだ。


祖父が亡くなり、つい先日祖母の四十九日をしてきた私にとって、残りました。

祖父母がいたから私がいる。

一緒に住んでいたことで、生活に制限ができ、嫌だったこともあったけど、私を形成したのは一緒に住んでいた二人の影響がとても大きいと思う。

この時代に祖父母と一緒に暮らせた人なんてきっと少なかっただろう。

貴重な経験だったと思う。大切にして生きていきたいと思いました。

ここがそんな世界か、まだ判明してはいない。

しかしそれがどのような成り立ちを持った世界であれ、私はここに留まるだろう。

青豆はそう思う。私たちはここに留まるだろう。この世界にはおそらくこの世界なりの脅威があり、危険が潜んでいるのだろう。

そしてこの世界なりの多くの謎と矛盾に満ちているのだろう。

行く先のわからない多くの暗い道を、私たちはこの先いくつも辿らなくてはならないかもしれない。

しかしそれでもいい。かまわない。進んでそれを受け入れよう。私はここからもうどこにも行かない。

どんなことがあろうと私たちは、このひとつきりの月を持った世界に踏み留まるのだ。

天吾と私とこの小さなものの三人で。


私の大好きなミスターチルドレンの

「今ここにいる場所が思っていたのとちがくても、間違いじゃないきっと答えは一つじゃない」

という曲を思い出しました。


でも、ここにいるということは真実。

それを受け入れて私は生きていくのです。


全部を読んで、大きなテーマを持った本だなと感じました。

私には大きすぎる。


正直に言うと、私は名作「ノルウェイの森」の方が好きです。

映画はちょっとでしたが、本がとても好きです。

また読みたくなりました。


村上春樹さんの本もっともっと読んでみようと思います。