京都 関西 岡山 キネシオロジー 安藤晶子です。

 

このごろアマゾンプライムで選ぶ邦画は、ほぼサラリーマンや経営者の話です。気分で選ぶんですが、いつも「時の傾向」があって面白いなーと思います。

 

さて、経営者や管理職の個人セッションで、「責任の扱い」がテーマになるのは、想像に難くないでしょう。

 

たとえば、部下の失敗は上司の責任になるのかどうか、どうか・・。潜在意識の答えは決まっていて、そこに上司の責任はありません。

 

そこで責任を感じたら最後、上司までも負のループにハマってしまいます。それが原因で、上司自身がメンタルを病み、休職に追い込まれるケースがあります。

 

それが悪いわけではありませんが、他人の問題を責任という言葉だけで自分に持ってきているので、学ぶことにはなりません。

 

私がストレスケアのためにお茶してる間に、日本の頑張るサラリーマンたちが経済活動を支えているんですよね。個人のストレスケアは、どこまで必要になっているんでしょうか。

 

 

また、日本のこれまでの考え方をひっくり返してしまうかもしれませんが。。

 

たとえば、部下がとんでもない損害を会社に与えたり、命を落としたり・・その場合、上司には、「自分に責任があると思わないでいられるか」が問われます。

 

責任回避は悪いことではありません。むしろ、相手(=部下)を自立した人間とみなすことが出来ているか、がポイントなのです。

 

それは会社だけにとどまらず、たとえば家族のだれかの失敗や残念な出来事に対しても、「自分には責任がない」とできるかどうか、が重要です。

 

「自分に責任がある」とするのは、潔い一方、非常におこがましい態度とされます。天に問えば、「あなたにはそんな力はない」と一蹴されます。

 

でも、多くの人は誰かに責任を問いたいので、「あなたのせいだ」としてきます。たとえそうでなくても、あなた自身がその信念を持っていれば「自分が悪かったのかな、自分が足りなかったのかな」と考えます。

 

それが鬱(うつ)の入り口です。

 

私たちが「自分のせいかもしれない、自分が悪かったのかもしれない」と、頭を抱えるとき、私たちのハートは内側にひねくれて回り込むのです。

 

感覚で感じてください。そんな時の自分は、身体を内側に丸めて、織り込めるだけ織り込んで、外側に固くガードを設けています。

 

実際、そこには、他人のことを自分に持ってくることの無意味があります。でもそれを知らない人が多いと感じます。

 

自分と他人を一緒コタにして、それはワンネスや統合意識とは全く別物なんですが、共感という言葉や優しさという言葉を勘違いして、刀のようにふるっているのです。

 

その刀は、おそらく自分も相手も傷つけるでしょう。

 

相手を自立した人とみなす時、お互いが楽になれます。誰かのために刀を振るう必要がないし、「それが起きた」で終わらせることが可能です。

 

昨年、犯罪を犯した人のセッションをしました。なぜそこに至ったのかを探り、これからどうしていくか、を見て行きました。

 

潜在意識がとても印象的な言葉を放ってくれました。

「あなたがこれからするどんな動作も、胸を張ってやれ!」でした。

 

小さくなるな、自分に×を付けたまま行くな、というのです。それは償いの場所や、自分一人の空間すべてにおいて、その人がその人でいるための優しくも厳しい提案だったと思います。

 

自分が引き起こしたことにさえ、こうです。おそらく人の失敗について自分のせいだと頭を下げるのは簡単です。頭を下げてみせても、人が起こすことは自分のせいではないと、どこかでわかっておくことです。

 

それは、なかったことにするのとは違います。鬱の入り口を避けて、自分の周りに起きたことをチカラにする道につなげることです。

 

心に残る後悔や罪悪感から、顔をあげられるように、個人セッションでお待ちしています。

 

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