例えばこのブログで、水害という文字を見ただけで読む気が失せる人がいるのを知っている。

 

私は東北の震災の時がそれに近かった。放射能がネックだった。それは見えないものへの恐怖を越えられていないせいだった。

 

個人的に電磁波を扱い切れていなかったせいで、見えないものに対する怖れの感情が残っていた。

 

ニュースや記事を目にしても、あまりピンと来なかったし、自分が動くと思っていなかった。だから被災地には行く気にならなかった。

 

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京都 関西 岡山 キネシオロジー 安藤晶子です。

 

新ブレインジムインストラクターへの課題が、私の手元にほぼ集まりました。その中に、嬉しいカードを付けてくださっている方がいらっしゃいました。

 

 

「真備のボランティア、一日でも良ければ参加していいですか?」と書いてあります。

 

8月29-31日に岡山県真備町に行く、ストレスケアのボランティアですね。 はい、1日でも2日でも、大歓迎です。よろしくお願いいたします。

 

昨日も、3人で被災地に入りました。総社のEちゃんと、玉野のMちゃん。お二人とも、ブレインジムを学んでくださっています。

 

 

インストラクターでなくても、ブレインジムの動きを知っていたら、お伝えできます。ただ現状として、ブレインジムの動きをお伝えするところまで行くのは稀です。状況は刻々と悲惨に近づきつつあります。

 

昨日聞いた声は以下の通りです。

・ここに居ると気が変になる

・希望がない

・もう限界かな

・食事が悲惨になってきた

・寝られない

・1~2時間おきに目が覚める

・子供がうるさすぎる

・どうしていいかわからない

・目の不調、腰が痛い、足がむくむ

・外に出ていない、出にくくなっている。

 

具体的には、午前中に二万小学校に行きました。7月26日以来、3週間ぶりの訪問。 校庭は、仮校舎の建設用に作業が開始されていました。ボランティアは私たちだけでした。

 

 

私はまず、前回「大丈夫かな?」と気になっていた3人家族(高齢の父母と50代の娘さん)のもとを訪れてみました。

 

低いダンボールで区切られた空間で、父だけが新聞を読んでおられました。声を掛けました。

 

私 「こんにちは。この前も来たんだけど、お母さんや娘さんはどこ? お父さん、大丈夫?」

 

お父さん 「ああ、お母さんは入院したんよ。肺炎で咳がひどくてな。娘はどこかな。その辺におると思うよ。」

 

私 「足のマッサージでもしましょうか。」

 

お父さん 「ああ、そうかな、ほんならお願い」 前回はかなり拒否ってたのに、すぐに横になられました。

 

横になってすぐ、天井を見て一言。

「わしゃーもう、死んだ方がマシかなと思っとんじゃ・・」

 

私 「え、そうなん。つらいんかな・・。」

 

お父さん 「もうなあ、仮設(住宅)には行きとうないんよ。その後も、何も希望がないけんなあ。」

 

そこから、しばらく話をお聞きしました。自分が84歳であること、体重が46キロしかないこと、娘さんが、交通事故の後遺症のせいで働きづらいこと・・つまり3人暮らしで働き手がいないのでした。

 

体重は、うちの父とほぼ同じだというと、

「へえええ。わしは、自分が日本で一番かと思っとったけど、他にもおったんか。足も細いじゃろ。背がある分、やせてみえるんよ。ほんで、お父さんはどうしとるん?」

 

続いて、これまでの人生の話になり、戦時中に食べたもの、厳しかった小学校の先生、そして盆栽が趣味であることから、私が庭の仕事をしていたというので意気投合。そこから、長い間、庭木の話やさつきの話をしました。

 

「さつきの花が好きでなあ、種類が多いんよ。有漢町の公民館にも教えに行ったり、さつきの盆栽で賞を取ったりもしたんよなあ・・」

 

1時間たっぷり、お話を聞きながら施術して、帰ってこられた娘さんと交代しました。私は娘さんと対面しながらも、お父さんから目が離せませんでした。

 

血色がよくなったお父さんは、動きが上がっていました。まずしゃきしゃきと外に出て、帰ってきたら数人の方に声をかけ、テレビのところでは、座り込んで男の人たちと歓談を始めました。

 

さきほどまで「死んだ方がマシ」と言っておられたとは到底思えまないほど、その時間の避難所の中では、一番動いておられました。

 

私は、話を聞くだけでもちがう、また行こう、と思いました。避難所で、あの人もこの人も、というのは無理で、ご縁がある人と出会って、ただいっしょに時間を過ごすだけです。

 

次に行った避難所は、8月6日から10日ぶりの第5福田小学校でした。ここは、行く前から元気がなさそうな感じがしていました。

 

 

カーテンの壁があって、声をかけにくいのです。

 

 

避難所によっては、低い段ボールの区切りだけのところもあります。プライバシーを考えると難しい所でしょうが、入所者の方からは、カーテンはない方が開放感があっていいのに、という声もありました。

 

私たちは、ここで数人の脳梗塞経験者の方の施術をさせていただきました。偶然にも、昨日は「船に乗るイベントの日」だったので、避難所に残っていたのは、高齢で動きにくいか、身体が不自由な方ばかりでした。

 

 

この方は81歳。昨年12月に脳梗塞を起こされていました。足も手もギャッと歪んでおられました。奥様と二人暮らしで、4畳ほどのカーテンの中で過ごしていらっしゃいました。

 

口元にもマヒがあり発音が不明瞭でしたが、聞き取ることは出来ました。全身をほぐすマッサージと共に、マヒの改善のための顔のマッサージをして、方法をお伝えしました。

 

私は、頭蓋骨の調整はともかく、マッサージは完全に素人です。だからうまくできているかもわからないのです。

 

でもいいと思っています。身体を触れることで安心できる人が多いからです。私の手にも、あなたの手にも、見えないけど力があります。

 

身体を触られたくない方とは話をするだけです。他愛ない話です。時間つぶしです。でも今からはそれが必要と感じます。

 

驚いたのは、全身にマヒがあるのに、寝返りやうつ伏せを自力でぐいっと力を入れて行っておられた点です。要介護3と言われていましたが、「なにくそ」という意気込みが感じられました。

 

そうです。この気持ちがある間は何とかなります。私はこの方のパッションに触れ、この場所のモードを変えようと思いました。今はわかりませんが、避難所の在り方か何かを打破しなくてはいけない感じです。


膨大な時間があり、それは平たんで、希望が感じられず、ちょっとした外食もお金や交通手段、あるいは今の状況ではぜいたくかも、と気が咎めてできないのです。

 

「お昼の配給は菓子パン・・」と聞いて食欲の失せた様子の方には、私のお弁当を渡しました。最初は、遠慮されても「ご飯とパン、どっちが食べたいの?」と聞くと受けとってもらえます。

 

自分用の爪切りとハサミが欲しいという方には、そっと買って置いてきました。避難所のすぐそば(歩いて1分)のお店に行けない人もいるのです。

 

こんなことは、私たちの日常のほんの一つのこと。動ける人が、出来る人がしたらいい、シンプルですよね。

 

今日午後、京都に帰ります。明日は8月末のボランティアで効果的に動くにはどうするのがいいのか、潜在意識の情報も加味して計画を立てます。

 

参加してみようかな、と感じる人、ご一緒しましょう。