京都 関西 岡山 キネシオロジー 安藤晶子です。今朝は4時台に目覚めて、お風呂に入って、しばらくボオッとして・・そしたら浮かび上がってくることがありました。
だいたいそう。朝目覚めた瞬間や、お風呂のぼーっとした時間に何かが来ます(笑) 昨日アップした記事の「動物メタファー感想集」の中で、私が思っていることと幾分違う部分。中庸についての考え方に関して書こうと思います。
(感想集より→)中庸を取るには両極端を知った上でないと取れない、いずれの選択(極端or中庸)もすべてを知った上でないとベストの選択はできないということを仲間の皆さんが何度も口にしてはったので頭に深くインプットされました。
のところ。実際の話は知らないし、感想なので人それぞれの受け取りでいいんですが、私の名前があって、ちょっと違うから書いておこうと思いついたんです。
・・・中庸を取るには両極端を知った上でないと・・すべてを知ったうえでないと・・・というのは、ちょっとニュアンスが違うと思っています。取れない、できない、わけではなく、ベストの選択というものもそもそもなく、「真ん中にいて、両方にOKできる自分でいること」が大事なんじゃないかな、と。 そうしたらどっちでもいいわけだから選択が楽にできる、だから中庸は楽な生き方。私はそう思っています。
直感合宿に出てくださっている方にお伝えしています。たとえば、昨日も不倫の相談の方がお見えになりましたが、「不倫はしてもいいし、しなくてもいい」というところにいれば、ずいぶん楽。罪悪感はかなり減ります。横領や殺人など、社会的に不道徳と言われていることについても「(自分も)するかもしれないし、しないかもしれない」くらいで受け止められたら、いちいちニュースについて腹を立てることもないだろうって話です。要は、アリなんですよね。
ストレスの仕組みに大きくかかわっているのが「善悪」とか「正しい、正しくない」とか「していいこと、悪いこと」とかいう、思考のなせる技なので、自分が経験してしたことなら許せる、気にならなくなる、という意味で「両極を知ったうえでないと・・」という話になったのかもしれません。何でも経験と言われる所以ですね。
昨日の”修行”についても「修行はしてもいい、しなくてもいい」の場所に立ったうえで、本人の自由でラクな選択であればケチを付けるつもりはありません。でも「修行しなきゃ」「苦労して習得しなきゃ」と思うのは 中庸を外れたしんどい道なので、言いたかったんですね。
同様に、愚痴や悪口に対して「聞きたくないからその場を離れる」のは、自分を大事にする意味でアリだけれど、それを扱うことで学べることも多いでしょう。たとえば、「聞かされる状態について嫌と言えるか」(表現)にチャレンジすることや、また自分がそれを「よくないこと」としすぎているために愚痴や悪口を聞く機会が周りに増えていると気づくこともあります。(オーバーエネルギーの法則) だから「愚痴や悪口は、言ってもいいし、言わなくてもいい」が中庸なのでしょう。
なーんてね。今の私のテーマは表現、これは間違いなさそうです。あくまで私の見方だし、中庸を語るには百年早いと思いますが、思っていることを表現していくチャレンジなのでお許しを~!
動物メタファーではクマのバランスが「表現して堂々としていること」ですね。クマさん、ありがとう! 次の動物メタファーは2年後2018年の開催です。お楽しみに!
↑ブレインジム・ダブルドゥードゥル(両手でお絵かき)で描きました。
