昨日の記事で、夫のことを少し書いた。
夫のことは、そばでずっとみてきた。
そんな夫のストーリー。
ちなみに、この記事をかいて下書きに入れていたら、
今回のぜっきーさんの記事が、
この記事の内容とリンクしていたので、
よろしければそちらもぜひ。→人生の正解なんて、どこにもない
ぜっきーさんの記事、どの話もだいすきです。
自分を責めてしまう人、
外の世界、他人の中に正解を求めてしまう人、
そういう方へ。
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いつも、人の顔色をうかがっていた。
いつも、人に合わせる生き方をしてた。
小学生時代、はじめはお調子者で人気者だった。
だけど引っ越しを重ねるごとに、
自分を消すようになっていった。
家では家族のかおいろを伺いながら、
学校では友達のかおいろを伺いながら
外では周りの人のかおいろを伺いながら
ピエロを演じた。
人とはうまく合わせられたし、
おもてむきは感じがよくて、
笑顔の明るい青年だったと思う。
だけど、心の中では怒りがどこかでいつもあって
家に帰って一人になる部屋では、ずっと暗い気持ちだった。
自分らしさがない、
なんてつまらない男なんだ。
そう思って、
そんな自分をずっと責めていた。
そんな自分でいたくないからと、
何かを得て 身につけて
結果を出して
何者かになろうとしていた。
たくさん学んでる自分はすごい。
そう思うために毎週高いお金を払って、勉強会に参加した。
何者かになるために、
すごい自分になるために、
たくさんのコミュニティに入って、
たくさんのことを学んで、
たくさんの人と出会った。
心のこと、体のこと、ビジネスのこと。
自分のやりたいことはこれだ!って
ものを見つけた時、
本当は心の警報がなっていた。
だけど、
気づかないフリをした。
自分はやりたいことはこれだ!
だって、自分にとってヒーローみたいなあの人が、
いいっていっているものだから!
自分よりも、あの人の方がすごいんだから、
あの人が言っていることがきっと正しい!
そうやって自分を押し殺して、
進んだ。
その結果、
心も、体も、こわした。
ほんとうに、自分が大切にしたいものはなんだっけ?
それを大切にできる生き方ができているっけ?
傷ついて、やっと、
「自分は」なにがいいのか。
「自分は」なにがいやなのか。
「自分は」なにが好きなのか。
「自分は」なにが嫌いなのか。
「自分は」なにが合うのか。
「自分は」なにが合わないのか。
それを確認できるようになった。
軌道修正をしても、まだ何者かになろうとする気持ちは
簡単にははずれなかった。
また、別のすごいと思う人に会えば、
この人の言っていることが正解だ!
と思ってしまった。
長いこと、自分を消して、人に合わせる生き方を
してきてしまったので、
そう簡単には変わらなかった。
周りの影響も受けやすく、すぐに自分を見失った。
一人の人が言うことの中に、
自分の好きも嫌いも合うも合わないも
両方がまざっているのだ、
と気付くまでに時間がかかった。
白黒はっきりさせたいタイプの自分は、
すごいと思うその人が言うことの、
すべてが正解だと
うけいれることしかできなかった。
そうやって
自分をだましだまし、
またすすんだ。
そしてもうこれ以上は自分を騙すことができないほど、
違和感が大きくなった頃に
気づいた。
人の正解を生きると、つらい。
そんなことをしたら、自分が死んでしまう。
ああするといいよ、こうするといいよ。
こういう生き方がすばらしいよ、
こういう考え方で生きる方がいいよ。
そうやって聞いてきた、
ある人が正解だと思うことは、
その人の正解であって
自分の正解ではない。
自分の、正解を知ろう。
自分を、知ろう。
そう思った。
そこからは、自分の常識を疑った。
これは、こうした方がいいと思っている。
こんな時は、こうするべき。
それは、ほんとうにそうなのか?
それは、自分が選んだのか?
自分が、いいと思っているのか?
そう学んでそう思わされてるだけなのか?
これを素敵だと思っているのは、ほんとうなのか?
これを好きだと思っているのは、ほんとうなのか?
今自分はなにを感じているのか?
いやだと感じることも
望むことも
自分に聴きつづけた。
自分を知っていくと、
自分をつよく見せよう、すごくみせよう、としていた
その行動が、自分の良さを消していたんだと気づいた。
意味のあることをしないといけない
価値のあることをしないといけない
そうやって思い続けて
温泉に入ってもホッとすることができなかった
過去の自分。
「誰かにとって」意味がある、価値がある、
自分を証明する必要があると思っていた。
だけど、
「自分」はどうしたいの?どう思うの?
と感覚にしたがっていったら、
ただ自分であることのすばらしさ
に気づいた。
何かを足す自分から、余計なものを引く自分に。
何かを足すことが大事なのではなく、
余計なものを削っていくことが大事だということが、
わかっていった。
削ることで、本来の自分に戻るのだと。
自分の声がよくきこえるようになったら、
自分が教えてくれた。
何者かになるのではない、あなたはすでに偉大なあなたなのだ、と。
あなたは何者にもなれない、何者でもないかけがえのないあなたなのだから。
そして、他人の中ではなく、自分の中で一つの答えをみつけた。
今の自分の正解は、自分が喜ぶことをしてあげること。
自分を大事にしてあげること。
それが、この世でもっとも尊いことなんだ。
そう思った。
自分がすばらしいとわかれば、
自分のダメなところも認められた。
ダメでなところもぜんぶ含めて、
自分の良さなのだわかったから。
もう、今の自分ではダメと責めて、
何かを足してすごい「誰か」になろうと思っていた自分は、
いなくなっていた。
そうして初めて、
うまくやらないといけない、
結果を出さないといけないから、
できない、
と思ってしまっていた、ほんとうにやりたかったことを、
こわいけど、やろう
って思えた。
それは、
他人の評価、他人の目を気にしてたら選べなかった道。
だけど、自分がすごくよろこぶ道。
ほんとうは、最初からわかっていたことだった。
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そんなわけで、
夫は今はすごく好きな仕事をしながら、
今も常に、ずっと自分としっかり対話しながら、
生きております。
自分でいっこずつ、気づいていくしかないんだ。
どんなに幻想が目の前に映っってても、
ほんとうの自分は、いつも全部知ってる。
ちゃんとそばにいてくれてる。
そのことに気づいたとき、
見える景色は変わるでしょう。
今日もありがとうございました。また。