またしても新しい年がはじまりました
新鮮な思いとともに、
不安がないわけではありません、正直。
順調にクライアントさんが来てくれるだろうか
毎月家賃を払えるだろうか
量子場調整をきちんと伝えられるだろうか
といった類いの、不安はあります。
しかし、不安の種をよーくみつめてみると
そういった事態をほんとうに憂えているというより、
実は違うものに対する心配や不安だったりします。
ほんとうにそのことを心配しているのわたし?
いやそうじゃないでしょう。
ほんとうはもっと違う根本的なものの
不安や恐れがあるのに
それを見たくないから、それに直面してしまうと怖いから
すり替えているだけでしょう?
ってな感じです。
根本的な恐れというと、
それは簡単にいうと
みんなに愛されなくなったらどうしよう
です。
そういった恐怖の種が、いろんなときに
バリエーションを変えて顔を出してくる。
ほらほら愛されてないよ
ほぅーら、やっぱりそんなもんじゃおまえは
どうだ、所詮人は他人なのじゃ
という、それを裏付ける言葉が
自分の中でくり返される。
わたしの中の
自分は愛されるに値しない人間である
という前提を
補強、証明するように出来事を体験し
そのように、事実を解釈したがる。
だから、しょっちゅうその恐れや不安はついてまわる。
いかなる状況においても、ちょっと油断すると
顔をもたげてくる。
ね、それをどうにかしないと
どんな充実感を感じているとしても
どんな幸せの絶頂だとしても
あっというまにそれは、虚構の世界になってしまう。
でもそれは、必要性ということもあるのかな、と
最近は思っています。
そういった恐怖感や不安があるから
努力することができて
そういう方に対して共感し必要なメッセージをお伝えできる。
恐怖はなくすことではなく
超えることにこそ、意義があるのかなあと。
むしろ、恐怖はそのままあっていい。
原初的な感情があるからこそ、
超えるという努力がある。
次につづく...