ちょっとした出来事が起きると、誰しも反応してしまうものです。
それに対する反応に、ある程度その方の気質や根底にある考え方
が現れるものです。
イラッとする人
人のせいにする人
自分を責める人
見捨てられたように感じる人
ダメ出しされているように感じる人
恥じる人
恐れる人
でも、とっさに出てしまう反応というのは、
過去から来ている、
過去の出来事に対する反応であることは
しばしばあります。
その反応が一つのパターンになっていきます。
なので、その反応が自分自身なのだ、
自分の正直な気持ちの表れなのだ、
と、思うことはありません。
反応と正直さは違います。
反応とは、過去に対する反射にすぎません。
ただの生理的な反応に近く、
それがわたしであると決めてしまうと、
いつまでたっても反応してしまうままの人間で、
何も変わりません。
笑いすぎておしっこを漏らした自分を
自分自身だと思わないですよね
そんなわけで、
反応することと、自分を混同するのはやめましょうね。
あるいは、変わりたくないから、反応することを止めない
ということもいえるでしょう。
反応しながらも、
そういう自分に居心地の良さを感じていたり、
自分を正当化していることはあると思います。
自分自身を何かから守るための手段として
それを止められないということもありますが、
何かから守るというのは、
たいてい勘違いの場合が多いです。
例えば、他の人が自分よりほめられると、
極端に落ち込んだり、その人をほめられなかったり
見捨てられたような反応をしてしまう場合。
こんな過去があったりします。
失敗して親に怒られた
↓
わたしは親に愛されていない
↓
愛されていないのはわたしが劣っているからだ
↓
優秀で良い子になれば、愛されるようになる
そんで、人より出来ていない事実を、
極端に重く受け止めてしまう。
何が勘違いしているかというと、
「愛されていないのはわたしが劣っているからだ」
と考えていることで、
「愛されていない」という事実に直面したくないために
劣っているという出来事に
極端に反応してしまうわけです。
(ややこしいかな...)
親は失敗しようが成功しようが、
愛しているという事実(可能性)は変わらない
ということを、理解していません。
なので、ずーっと反応しつづけてしまう。
そしてそして、
反応すると、誰しもそれを外側に対して表現したくなるものです。
「え”え”っ、やだー」
「全然わかんない!」
「誰もわたしのことなんてわかってくれない」
「あいつが悪い、あいつのせいだ」
「あたしが悪かったからだ」
「わたしなんて生きる価値がない」
そういう風に言葉で表現したり、振る舞いで表したりします。
その、外側に発したものを無意識は観ています。
そして、無意識はそのように自分自身を作っていきます。
つまり、自分の発した言葉に自分自身が束縛されて
自分自身でだまされるわけです。
反応そのものも、不正直な表れなのに
その表現で、また自分自身をだましていく...
ね、こんなことやめたいですよね
まずは、自分自身が発する言葉、ふるまいを
もう一度振り返ってみてはいかがでしょう。
わからないのは全部ではなく、
前より少しはわかったところもあるのではないですか。
なぜ他の人が悪いと言えるのですか。
なぜ生きる価値がないと言い切れるのですか。
もしかして、人よりも自分をだます方が簡単なのかもしれません。
だからこそ、外側に表現する言葉や振る舞いに
意識的になってみてくださいね
