昨日は、量子場師のための存在と非在の講座を行いました

いろんなことを新しく行ってみたのですがね。
そちらのご報告はお二人に任せました!
Kちゃん先生
その中の一つ(さらっとやりましたが)
他者は自分の無意識の映し出しである
ということを波動で検証してみました。
実際そのとおりやん!
ってことが身体で確認できておもしろかったです。
その前に行った一昨日の講座、OVER THE PASSIONのテーマも、
他者が自分の鏡であること
起こった出来事に対する意味づけに、自分自身の意識が投影されている
ことを理解し、解消するということでした。
感情が揺れ動いた原因をつくった相手に
「本当はこうしてほしかった」
「こう言ってほしかった」
という思いが残ることは、よくありますよね。
その思いがどんなに正しくても、どんなに整合性があったとしても、
相手が自分の思いを満たすイメージをすると
かえって波動は歪み、身体がねじれるのですよ
例えば、暴行された女性がいたとします。
(すみません、どぎつい例えで)
犯人はほどなく発見され、
その犯人に彼女は謝罪の言葉、後悔の言葉を求めたとします。
しかし犯人は反省の気持ちが微塵もなく
「うるせー、何が悪いんだ」
という態度をとったとします。
そのときの彼女の思いは、
第三者の想像を絶するものでしょう。
「なぜなぜ、わたしの肉体が。一体どんな理由で。なぜこんなことに。
絶対許せない。絶対このままにしてなるものか。
わたしと同じ目を与えるかそれ相応の制裁をしなくては!」
というような思いが渦を巻くかもしれません。
しかし、そんなときでも
自分が犯人にこういう態度をとってほしかった
という期待を捨てて、
逆に相手が自分にとってほしかった態度を、
論理的にはおかしいですし、
感情的にもとても納得できることではありませんが、
自分自身が相手に対してイメージ上で行ってみます。
(実際すれば良いということではありませんよ)
すると、身体の軸が正中に乗ってどこも歪みがなく、
胸がスーッと広がっていくのが確認できました。
過去にわだかまっていた感情から
自分が解放されたという一つの表れです
ここから、
自分の欲求を相手によって満たす場合と
自分の欲求を自分自身で実行した場合との違いが
明確にわかりました。
自分の欲求を埋め合わせようという凝り固まったものを
無意識は逃さず観察しています。
その凝り固まったものは、自分自身のものであって
相手のものではない。
だから、相手によってそれを満たそうという思いは
ナンセンスなのですね。
出会う人は、どんな人であれ自分自身の意識の映し出されたもの
つまり自分自身の延長です。
「相手にこうしてほしいと」いう要求は、
自分自身の思いを自分にとって都合よく満たすものなわけです。
それを相手に満たしてもらうのは、
「わたしがトイレに行きたいから代わりに行ってきて」
と言うくらい、ナンセンスなのですね。
(うちの母親はよく言ってましたが
)
自分がトイレに行きたいなら、自分自身の行動でそれを満たす。
同様に、相手にこうしてほしいという思いも、
自分自身で満たす。
そうすると、過去の出来事は変えられないにせよ、
その出来事でわだかまっている自分の感情や
そのことによって、ホルモンが分泌され身体に負担をかけることから
自分を救い出すことができるのです。
囚われを正当化するより、
その囚われから自分自身を救出する
方が、自由になれる気がしませんか
囚われをつくってしまったのも自分なら、
それを解放するのも自分しかいない。
そんなことが確認できましたー。
その後の身体の変化、感情の違いに
みなさん驚いていらっしゃいましたよ。
PASSIONの講座に興味のある方は
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