エゴ、つまり自我というものはやっかいな存在です
あらゆる苦しみや悩みはその自我から生じるといっても過言ではないほどです。
自分が人より劣っているという思いは、
人より優れていたいという自我から生じ、
いつも過去をくよくよ悩んで生きるのも、
その過去の自分を取り戻したいという、自我のせいでもありますよね。
取り戻したいから、何度も何度もそのシーンを頭の中で再現して、
「こうだったら、ああだったら」と思考してしまいます。
そういったことをするのも、自我です。
苦しみは、自分自身と一体化しているから、苦しいのです。
たとえば、転んでひどく太ももがグッサリ切れたとします。
その傷口はとても痛み、あなたはその痛みにうんうん苦しみます。
「痛い、痛い、ああもうやだよー」というとき、
自分自身と痛みを同一化していますよね。
同一化するから、痛みと一体化して苦しむわけです。
一体化させるのも、自我の働きだと思います。
「痛い、痛い」と痛みにフォーカスすると、痛みはどんどん拡大していきます。
痛みと自分自身を分けて、痛みをただ観察していると、
それほど苦しむ必要がなく、痛みが消えていくでしょう。
観察する意識、つまり観察者は現在の自分自身を判断せずに観ているだけです。
この意識が、自分を苦しみから解放し、あらゆる感情から自由にさせます。
自我はやっかいな奴で、現在生じている出来事に、いろいろ余計なものをくっつけます。
ちょっとした痛みで、過去痛めた出来事を再現されたり、
感情が揺らいだとき、これまで体験した辛い過去がドドドッと押し寄せ、どんどんその感情が増大していったり。
そういったことも、自我という小さなものに、
自分自身が囚われてしまうからなのですね。
ところで、今日柔術を行いました。
ためしに師匠に絞め技をかけていただいたとき、
ついつい恐怖心のスイッチが入ってしまい、師匠は力を入れるのを控えました。
その恐怖心は、わたしの自我が創造したものだと気づきました。
その瞬間、過去に体験した恐怖の出来事、あるいは想像しただけの恐怖のイメージが、
わたしの中にどんどん生じて、その恐怖心に乗っ取られてしまい、
普通に振る舞えなくなったのですね。
自我は、いまここにある意識を曇らせ、ある状態に制限してしまいます。
その曇りは、自分自身を観察する第三の意識によって、クリアーにすることができます。
感情や判断のない、ニュートラルに観察する意識が、自我にがんじがられめにされている自分自身を救います。
その意識は、自我を手放しさえすれば、自然と育っていくものです。
自我を手放して何を失うかというと、苦しみや、自分らしくない違和感だけです。
自分自身に制限されている自我のおかげで、
外側の人や出来事が歪んで感じられ、勝手に被害者意識や罪悪感で悩むわけですからね。
自分自身は何も変わる必要はないのです

いまのままのあなたでいい

ただ、苦しみや過去にまつわる感情と一体化している自分は自我であって、
自分とは異なることに、気づけばいいだけです。
自我と本来の自分は違うと気づけば、
自我を手放す準備ができます。
そうすると、これまで制限していた自分自身が、
間違いなく、成長していきます
