こんにちは、安藤ひさこです。
子どもが成長し、家を出て行ったら、
帰っても来やしない。
電話しても出ない。
LINEしても既読スルー。
やっとつながったと思ったら、そんなことでいちいち電話しなくていいと言われる。
息子たちのお母さん仲間でも子どもが高校を卒業してからの集まりだと
「自立っていうけど、さっさと親は見捨てられるのねー
親なんて因果なものよね(不運なめぐりあわせ、運が悪い)」
って言葉が何度も出ていました。
それで手元にわが子がいなくなった途端に、犬を飼う人が多かったですね。
私は「あなたはいいわよ、まだ子育てする相手(娘)がいるんだからー」って言われちゃってね^^;
それぞれ思いはありますよね。
とはいえ、一つ覚えておいて欲しいなーって思うのは、子どもが自立していくとき、親を見捨てているわけじゃないよってこと。
見捨てるとかも思っていないんじゃないかな。
やっと自分で色々決められる!
不安もあるけど、自分でやってみよう!
しんどいけど、自分のやり方で試してみよう!
そういう世界に飛びたったわが子は、おそらく自分のことで精いっぱいかもしれません。
でね、またさらに親から離れていく選択も時には選んでいきます。
地元に帰る約束だったのに、転勤の多い仕事を選んだ
大学を卒業して就職したのに、一年待たず辞めてどこで何しているかわからない。
結婚するときに、転勤族の人と結婚して戻ってこない。
留学して、そのまま現地に住んでしまった。
海外行ったまま、数年連絡もしてこないときもそう。
するとね、
こんなはずじゃなかった・・・
私の頑張りはどうなるの?
約束したのに破って、私は見捨てられた・・・
そんな思いがお母さんにわき上がることもあるかもしれません。
実際に私の息子のお友達のお母さんも嘆いていました。
でもね、さっきも書いたけれど、子どもは親を見捨てているわけじゃない。
自分の人生を生き始めただけです。
自分で考え選び、決め行動する。
それをしているだけなんですね。
それを因果なものだと言うこともできるけれど、そう考えて私たちは幸せを感じることができるでしょうか。
私たちが一生けんめい子どもを育ててきたのは、自立のためだったはずです。
子どもが自分で生きていけるように
そのチカラを身に着けるように。
そう願って、時には厳しく、時には怒り、時には叱咤激励などもしてきました。
今、子どもたちは願ったとおりに生きています。
それでね、そこで「見捨てられた」と思う気持ちは寂しいけれど、それは私たちの課題です。
誰かに見捨てられると生きていけない・・・・
その思いが、子どもが離れるときにあふれ、離れようとする子どもを無自覚に引き留めようとしてしまうのです。
それは、お母さんの中にある子どもの頃に感じた「見捨てられ不安」です。
子どもの問題ではないのです。
相手を失いたくないという不安から、相手を束縛してしまう。
でもこうして相手を束縛すると、相手はその関係を非常に負担に感じ、信頼関係に溝が生じてしまうことが少なくありません。
なので、お母さんは少しずつだけど、その不安を自分で抱えられるといいなーと思います。
そのためにできることは何でしょうか。
① 不安の背景を知る
見捨てられ不安は子どもの頃の親御さんとの関係で生じることが多いです。
子どもの頃を振り返ってみて、子どもの頃に言えなかった想いを聴いてみること。
そして、つらかったり、苦しい時にどのように受け止めてもらい、何て言ってほしかったかきいてみてね。
② 不安との折り合いをつける
不安な気持ちが高まった時には、その声を聴いてみる。
そして、自分なりに他のことに気持ちを向けることによって不安をやり過ごしながら、少しの間その気持ちを抱えてみます。
すると少しずつだけどその不安を抱えられるように、自分の心の器が広く、大きくなてきます。
③ 心の中の子どもの自分を癒す。
三つ目は、「子どもの私」の不安を癒すことです。
見捨てられ不安は、心の中に残る未消化なままの「子どもの私」の心が感じている不安です。
「子どもの私」が
「見捨てないで!」
「私だけを見て!」
「勝手にどこかにいかないでよ!」
と騒いで暴れているのです。
居てもたってもいられずどうにかしないと収まらないときは
「この不安は、『子どもの私』が感じている不安なんだ」
と自分の心の声を聴いてね。
そして、
「さびしかったんだね。でも、心配いらないよ」
「大丈夫だよ、一人じゃないよ」
と、子どもの頃にかけてもらいたかった言葉を、自分で「子どもの私」に語り掛けてあげてくださいね。
そして、いつもみたいに自暴自棄にならず言葉を止めることができたときは
「よく我慢できたね」と「子どもの私」に声をかけ、
自分を大切にする方法で自分を癒したり、ねぎらったりして落ち着かせてあげましょう。
この取り組みは笑み育ワークシートでもできます。
親なんて因果なものよという言葉は、
自分は損をしている、
自分の努力は報われない
そんなニュアンスにもとれます。
私たちは子どもが離れていっても、ちゃんと自分で自分を幸せにできる力があります。
一時的には寂しいかもしれない。
その寂しさは、必ず自分で抱えられるようになります。
子どもが自分の人生を生きることは喜ばしいことです。
そして私たちも私たちの人生を生きていくことは喜ばしいのです。
一つお伝えしたいのは、その離れて行った子どもは永遠に離れていくとは限りません。
また再結することもありますし、再結できます。
永遠ではないのです。
だからその時を喜んで迎えられるよう、私たちも自分をいたわり、大事にし、私らしい人生を生き生きと生きていきましょう。
喜べば
喜びごとが
喜んで
喜び連れて
喜びに来る。
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