今日は、友達とファッションの話ずっとしてて、
蚤の市で、撮らせてもらいました。
好きなブランド、なぜ好きか、発想がどういう風に出てくるか、何を見てデザイン考えるか、
私はその人に似合う服を考える。
彼女は素材から考える。
私はその人の魅力という形のないもの、デザインに起こす。
彼女はテーマから連想して、素材を考える。デザインは、後から。
真逆とも言えるし、私がそのままやりたかったことを、そのままやってるんだという部分もあって、(うまくできるところを伸ばすっていう意味で)
ただ120%のものしか作りたくない、買いたくないというのは共通してて、本当にそれがやっと、いまになって、人に話せるっていうね。
学生の時はつまらない、でも精一杯だったけど、やはりつまらない人間だったなと思う。限界がつまらない人間とか、本当残念やな。
どうやったら人が「買う」って決めるのかという話になり、私はそこ軽く絶望してる部分で、そこじゃないものを求めて、いま半歩先半歩先の自分しかほんまに見えへん。
スタージュも、ビザも、作品も。
一緒に見た映画は絶対日本では公開されないような、アニメーションでなんか風刺っぽい作品を見た。
美味しいフレンチで体調回復しそう。
私は一応社会の枠に収まりたいってずっと思ってきた。
でもそれで全く居心地良くない人生があって、
普通に成功している服飾人生っていうのを、留学や自分の作品に対しても、できるかどうか安全かどうかを無意識的に、先に考えてて、
そんなまとまった人生で自分は、自分でよかったっては思えなかった。なんか、結局それは「知ってる」ことやねんな。
ある時自分を爆発暴走させて作ったものが認められて、それで次は見えてきたけど、またそこで、簡単にサボってなかったことにして諦めてもなく諦めて、
またそこトライするしかない。
この世に素晴らしい服は既に既にたくさんあるのに、それでも私が何か作り出すべきものがあるんだろうかというのを、トライ、なんて怖いんだ。無視。
やりきったら死ねるくらいやらなきゃ、その覚悟をしてる最中だ。覚悟もできないのか、やり続けなくていいから、やったらやめれるから。
打席に立てるのが幸せなこと。
あんな存在でも常にオーディションされる側。
精神的に崖に立つ試練が栄養。
かわいがられる真面目でいい人なんてそれまで。
最後のは、FBで流れてきた文章。
当たりすぎてて、腹たった。
なんで腹たつって、自分がそれを手放したくないことに、自分じゃない人が気づいてて、的中してて、さらにそれを手放す勇気もないからやり、またそこ諦めたら気付かんかったふりしたらいいわと思ってるからです。
何回それやんねん、次は草。
この前蚤の市で、写真撮らせてもらった。
ファッションは流行って意味もある。
服装は流行じゃないものであってほしい。
なぜなら移り変わるものを作る意味がないと感じるから、そんなものは身につけても、単に楽しいとかでしかないから、馴れ合いでしかないから。
なのにいつも「本来」ではないものが流行して、でも流行から離れることもできない、と、勝手に諦めてたのは私です。
しかし、真実の創造に流行なんてあり得るはずがない。湧いてくるものだから。
私は自分が3500年とか生きた先でさらにそこから「今までにないと保証できるもの」を生み出したいと考える人間です。
見てるのに、影響を受けないのは難しいと思う。なんというか、ゼロだって言い切るのは、無人島にいるでもしなきゃ、真実影響受けてないとは言い切れないと思う。
1を見て、0という時、1を見てるわけだから。







