たとえば太極拳のお仲間さんだとか
絵を描いている友人だとか
【ジブツタセミナー】で知り合った方々だとか
ブログやFBでのやりとりだとか
もちろん家族だってそう…
私のまわりにいてくれる方とは
日々、いろんなおしゃべりをするわけです。
企画会議だとか
日本経済だとかという大きな議論じゃなく
まぁ、ふつうのおしゃべり、ね。
だからまぁ、なんだよ。
だとか、
といったオマケによって
胴まわりはどんどん
たくましくなっていくわけなのですが…![]()
そうそう、最近の隠れたキーワードに
<食いしん坊はS>ってのがあるくらい![]()
で、そんなおしゃべりの中で
自分が話していながら
(へ〜、そうだったの?)
と、自分で驚くことがあります。
昨日も甘いものをほおばりながら
友人が話していたのは
「今やっていることがホントに好きなのかどうかわからない」
「どうしてもいっしょにやっている仲間のことが気になってしまう」
「相手は私の存在など眼中にないかもしれないのに
私が勝手にライバル視して、シット心を持ったりしてしまう」
「勝ち負けの勝負じゃないのに、そんなふうに思ってしまう自分がイヤだ」
「こんなふうにしか思えないなんて、たぶん本当に好きでやってることじゃないと思う」
というようなお話。
ね〜〜? これをきいてどうよ?![]()
ここから、タイトルにもなった
「ヒトと競うこと、
シットに燃えることはそんなにダメなことなのか?」
というお話に入っていくわけです。
自分の身体や感覚を使って
何かを表現していく
プロとかアマとか関係なく
何かを表現したり
何かを創造したりしていくこと
それをやっていく時に
シット心はガソリンになることが多いです。
(クッソ〜〜!![]()
なぜアイツはあんなに上手なんだ〜〜![]()
それに比べて私は〜〜![]()
クッソ〜〜!
)
って思ってがんばることで
馬力がアップすることって多いんじゃないかしら?
自分の近くに、現実であれ仮想であれ
ライバルというものを設定して
そのライバルに負けないようにと
必死になることで出てくるパワーというのが
あるのではないかしら?
そんな話を
目の前にいる友人に話しながら
(へ〜、そうなんだね〜〜)
と自分で自分の言葉に深くうなづいてしまったのであります。
子どもの頃から
少女マンガでは、
イジワルなコや
主人公と対峙するコのキャラクターは
勝ち気でわがままでシット深い。
だから自然と
勝ち気でわがままでシット深い=悪
やさしくてライバル視せず争わない=善
みたいな図式が
私たちの中で育ってしまったのではないかなぁ?
と、私は推測してしまうのです。
心根のやさしいヒトほど
ヒトに対して(クッソ〜〜!)って思うだなんて
私ってなんてダメな奴なんだろうって
自分を責めてしまう。
でもさ、考えてみようよ![]()
ヒトと競い合うことって
そんなに悪いことなのかしらねぇ。
シット心もそう。
これって暴れ馬みたいなもので
上手に乗りこなすことができたら
とても役に立ってくれる名馬になるんじゃないかしら?
心の奥底にあるシット心を自覚できずに
まるで関係ない事柄を使って相手を引き摺り下ろす
そんなことをするヒトを、
私は今までに何人もみてきました。
こういう使い方は
暴れ馬の暴走をとめられないだけでなくって
それが暴れ馬だったってことにすら気がつかないパターンですよね。
でも、そうじゃなくって
私は彼、彼女にシットしてる。
だって、あんなふうに上手に、綺麗に
できるようになりたいから。
だから、私もがんばってもっと向上していこう
そのためにもっとやっていこう
っていうのは、
暴れ馬を名馬に変えていく行程なのですよね。
こうやって使えば
シット心万歳!なんですよ。
だからさぁ
私がパブロ・ピカソをライバルだっていうのもアリだし
そこに伊藤若冲とか大友克洋とかの
名前をあげたっていいわけだ![]()
(ここぞとばかりにすっごい名前を持ち出してみた
)
こうやって考えてみると
ライバル視することやシット心を持つってことは
限りなく相手を尊敬するということと
とても近いということになっていく。
「だからね、
あなたがシット心を持つっていうことは
ぜんぜんいけないことじゃないのよ。
で、むしろそういう気持ちがわくっていうことは
あなたがそれをやることが好きでたまらなくて
もっともっと上達したいから
そういう気持ちになってるってことなのよ。
でしょう?」
はい、これが
おしゃべりの時の
私からのこ〜た〜え〜![]()
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