「おとうさん、私はこの
南海のノムラというキャッチャーはすごいと思う」
たぶん小学生の頃に、
私は父とそんな話をしていた。
南海のノムラは、なんだか雑草みたいなヒトだった。
コツコツ、コツコツと、
およそプロ野球選手らしい派手さはなく、
地道に無骨に、何かを積み上げていくような、
そういうプレーをしていた。
そういう一兵卒みたいなところがすごい!
と、子どもの頃の私は思ったのだった。
最近、週刊誌のインタビューに、
野村克也氏がこたえているのを読んで、
「おとうさん、私はこの
南海のノムラというキャッチャーはすごいと思う」
と言った小学生の頃の自分と、
同じことを感じた自分がいた。
清原の事件を受けての記事だった。
プロ1年目から俺の記録はいつか清原に塗り替えられるなと思っていた。
こんな選手いない。
ただ物足りなかった。
野球選手に大事なのは判断力だが、
清原のプレーからは状況判断をしているとか、
頭を使っているとかが全く伝わってこなかった。
それで、清原が西武1年目か2年目のときに、
俺は森(祇晶・元西武監督)に言ったんだよ。
清原は野球に対する思想、哲学が何もない奴だ、天性だけでやっている。
お前が悪い。ちゃんと教育しろって。
野球の指導はコーチがやる。
監督の仕事で大事なのは人間教育、社会教育ですよ。
記事の全文はこちら↓
http://dot.asahi.com/wa/2016020900178.html?page=1
人間が生きるということの中には、
それがどんなフィールドであっても、
思想があり、哲学があるのだ。
それを培うために教育があって、指導者がいる。
実はあたり前かもしれない、そういう根幹をなすことを、
このインタビューでは的確に話している。
人間って、まわりにいるヒトたちから、
教えや諭しを受けながら、
自分なりの思想や哲学を積み上げていく。
私は子どもの頃に、
<南海のノムラ>を見て、
コツコツ積み上げて来たその思想や哲学を
すごいと思ったのかもしれない。
そうして今は<南海ではないノムラ>が語るのをきいて、
あぁ、清原というヒトは、
育てられてこなかったのかもしれない、
自分の中に思想や哲学を積み上げることができなかったのかもしれない
と、そのことを人ごとながら残念に思ったのだった。
自分の中に思想や哲学を積み上げること
これは万人が死ぬまでの、あたり前の課題なのだろう。
昨日の記事をひきつづき、
<哲学>という言葉が気になる今日この頃。