こんにちは。
昨日の朝福岡に戻って
午後は仕事して
と、夢の舞台から
日常に帰っております。
今日は
臨済宗の僧侶野口宝蔵師が考案された
「座禅断食会」を
越智啓子先生が開催されるということで
参加すべく、雪の福岡を去って
沖縄に向かっています。
突然ですが僕は
自分は怒られるのがすごく怖い人間だ
と思っていました。
そしてそれは
小さい頃の体験に由来するものだ
と思っていたし、
そういう側面もあると思います。
でもどうやら怒られるということに
対する感情、感覚は
「怖い」だけでは
ないのかもと「ふと」思いました。
そこで飛行機の中でこの件について
空腹でクラクラする頭で
色々と考えたことを書いてみましたー。
早速一つ目。
「怒られる、怒られそう」と思うと
特に首の後ろに
強い緊張を感じて
体全体をきゅーっと縮めたくなるような
感覚が走る。
これは
発達支援コーチで言う恐怖麻痺反射の
ポリヴェーガル理論で言う背側迷走神経の
活動だと思うけど
何にしろとにかく僕にとっては不快な
感じがする現象だから
できれば避けたくなるし
これが起きるとうまく考えたり
話したりできなくなる
感じがする。
で、
「怒られる、怒られそう」と思うと
この反応がよく起きるから
「自分は怒られるのが怖いんだ。」
と、思っていたけど
それも一つの思い込みだなと。
つまり
これまで
「怒られる、怒られそう」と思った時に
こういった体、神経の反応がよく起こった
と、いまの僕が思っている、記憶している
だけなのに
それを勝手に
「怒られる、怒られそう」 = 「怖い」
と「思い込んでいる」ということ。
二つ目。
怒られた時にさっき書いたような
神経の反応が起きて
言い返せない
相手の言うように動いてしまう
ことがあった自分への怒りや
またそうなるのではという怖れ
も混ざってそう。
三つ目。
怒ってくる相手に対して
怒りを感じた時に
それを出せない自分への怒りや
また出せないのではという怖れ。
これもありそう。
まだ「怒り」を出すのは苦手かも。
「怒りを出せない」のには
「怒りを出してはいけない」
という思い込みがあり
その思い込みは僕の場合はおそらく
自分が怒りを出すと
相手を傷つけたり
壊したりしてしまう
それはいけない
という思い込みに由来する。
4つ目。
そういった自分に対する怒りや
自分がこうするのではという怖れを
相手のせいにしたり
相手の怒っているという行為のせいにしたり
している面もあるのかも。
五つ目。
自分の「怒り」の抑制が
最初に書いたような神経の反応を
より強いものにしている
ということも起きてるだろうなー。
六つ目。
神経の反応自体への
怖れや、嫌悪感を
「怒られる」ことへの怖れと
勘違いしている。
7つ目。
「怒られる、怒られそう」
と思った時に
自分の粗探しをして責める
ことが起きるのが嫌なだけ。
まぁ心屋的に言えば
自分を責めてる部分があるから
「怒られる、怒られそう」
と思うし、
実際に「怒られる」訳だけど。
最後に。
怒られるのが怖い
自分が受け入れられない件。
別に怒られるの怖くていいってこと。
ま、当たり前だけど。
ふう。
まぁここに書いたことも
ただの僕の
「解釈」「思い込み」
だけど、
へー、そーなんだー。
というだけで溶けていくこともある。
今回も考えてみてスッキリしたので
書いてみました。
書いてよりスッキリー!
沖縄着いたー!
結構寒いー!
でもお腹空いたー!!

