【加藤さんの記録より】
思い出し 平工の避難所生活
序文
書けと言う。
お前にはブログの書き方も教え、ツウィッターのやり方も伝え現地の状況を皆に知らせろとあれだけ言ったのに欲しい物、やって欲しいことだけを言ってきただけだ。
ブログは1回乗せただけ。一体なにをやってたんだ!!
誰も何がどうなっていたのかわからない!!
と言葉に言わずも無言の圧力をかけてくる。
書きましょう!
ただまた今度も多くの方の援助を得ながら…。
これはご協力いただいた方々への感謝の報告書でありスタッフへの言い訳の福島県立平工業高校避難所の私の目から見た記録であります。
3月11日(金)
やはりこの日から始めなくなくてはならないだろう。
私はこの日の2時46分ごろ文京区春日の交差点にあるNPO響きの森netの事務所にいた。
長い揺れの間外を見ていると多くの人が交差点で不安そうに立ち止り、またビルから出てきて周りを見回している。
そんなところにいると上から物が落ちてきて危ないぞ!とこちらは思っているのだがどうやら外の人はこちらが入っているビルを見上げながら壊れるのならこのビルだろうと思っているらしい。
そう気がついたのはこのビルを管理する責任者が慌てて外に出てきて私の上を、つまりビルの上の方を心配そうに見ていたからだ。
揺れが収まり挨拶をすると「ほら、ひびがあります」とのこと。
このビルがつぶれたら人前で私がぺちゃんこになっていたわけだ。
通信はできないし電話もまともにつながらない。テレビではかなりの地震との速報。
何もできないので家にもどろうと地下鉄の駅に行くと止まっているという。
ならば日ごろの運動不足もあり歩いて帰ろうと事務所を出る。
まだ道は混んでいなかった。
途中の本屋さんは落ちた本の整理のため鍵を閉め、ちょうど良い機会だからと一度寄ってみたかったいろいろな鉱石を展示・販売している店に行くとやはり閉まっていた。
私はその時散歩気分だったのだ。
夜になり嫁いだ姉から電車が止まっている、車も混んでいて走れないので出先から帰れず困っている。家まで歩いて帰るのは遠くて無理なので実家に泊まるかもしれないとの電話があったが私はいつものとおり酒を飲んで眠ってしまった。
私にとってはそんな地震だった。
私が春日の交差点を見ていた時、福島県いわき市平豊間の女性はこんな状況だった。
S.K.さんの日記より(そのまま)
この日はM(注:お嬢さん)は課題のスケッチ、Y(注:お嬢さん)はピアノの練習はせずボーとしていた。私は120本の内職をやっていた。お昼御飯をYと作った。(そばめしチャーハンとスープ)お昼と食べた後に「3年B組金八先生」を見るのに洗たく物をいつもより早くたたんで内職をしながら見ていました。Mはスケッチをしながら…。
PM2:46 突然「緊急地震速報」が鳴って「あら、地震がくるわ」ぐらいに考えていました。すると急にガタッガタッ、仏様の花が倒れたり、仏壇が斜めに傾いたり内職のテーブルをおさえながら仏様を見たり、テレビが倒れそうになるのを見たりMとAは、こたつの中に頭を入れて大騒ぎをしていた。今まで経験したことのない揺れにどうしていいのかわからずに子供達の前ながら私も大声で泣きたいくらいでした。時間にしてどの位過ぎたかわからないけれど揺れがとまったら、仏様の花が倒れて水がたたみに流れて内職の道具もぬれてどうしようと思っていたら庭に屋根の瓦が一杯おちていて3人で「ワァーすごい」。どうしたらいいかわからずにとりあえずお父さんにメールをした。「瓦落ちたよ。」だけ。その後、道路、キュウヤ、ヤマキの前に人が出ていたので3人で慌てて外に出た。トコヤでも外に出ていたので話をしに行ったら家の瓦のことを言われた。「家の屋根は急だからね」と言って他を見たら他でも落ちていた。トコヤの脇の駐車場で話をしていた。水道管が割れて水が吹き出していた。「津波がくるから逃げるよー」と言って薬屋さんなどは車で逃げた。トコヤのおじちゃんにも「津波が来るよ」と言われみんながそう言うならと携帯だけしが持たずに天王山まで歩いて行った(アルファードは庭に瓦が落ちて出せなかった)途中で下町のおばあちゃんを3人で連れて行った。「すごい地震だったねぇ」とのんきに話をしながら、天王山の坂道の下で登るかどうしようか悩んでいたら「津波が来るから登れえー」の声が聞こえて「どこまで登るの」と言いながら中腹まで登った。おばあちゃんは「こんな私をありがとうねぇ。みんなが居るから助けられて、山にも登って一人では、もう駄目だったよ」と何度もお礼を言っていた。天王山にはKさんのおばあちゃんとEさんところのS君、天王山のYちゃん親子などたくさんの人が坂の下から中腹まで3~40人いたようだ。そのうち海の方からぶすぶす変な音がしてガス臭くて空が茶色くほこりが舞い上がって異様な雰囲気というか景色というか音というか匂いというか見たこともない雰囲気の中、竹屋前の道路から真っすぐの畑に泥水が車も3台流されて畑の中で土まみれ泥水まみれと思って見ているとマルイの前も泥水であふれ返っていた。もっと目線をあげると宝蔵寺の前の田んぼにまで水があふれていた。「わぁー津波があそこまで」豊間の町が津波につぶされて壊されていくのが天王山からまざまざと見せつけられた。津波は早いもので来たと思ったらあっという間に引いて行った。新道は消防車がサイレンを鳴らして「津波だから逃げろ」と言うけど、車は合磯の方にすごいいきおいで行くし、人は歩いているし何を考えているのかハラハラしながら見ていた。泥水の勢いが無くなって水も引けてしばらくすると第2波の津波が第1波より強くてお寺の橋を越すぐらいの波の勢いでどこかの家の屋根が田んぼの真ん中にあった。AとMもそれを見てとても驚いていた。津波が住宅まで来なくなって、山の上から見たら落ち着いたと思って安心していたら、空が急に暗くなって寒くなって雨が降ってきたと思ったら雪になって風も強くなって吹雪になりみんな山の木々を風除けに使って、少しでも吹雪にさらされないようにYちゃんに借りた傘、ひざかけ、マフラー、カイロに助けられ下町のおばあちゃんに声を掛け4人で励ましあった。おばあちゃんには頭から毛布をすっぽりかぶせて寒くならないように目だけ出して顔も隠しておくように言った。一時猛吹雪になって、このまま夜になったらどうしようと思っていたら止んで明るくなって来た。区長が消防車からマイクで「塩屋崎カントリーに避難してください」の指示に子供達とおばあちゃんの脇を抱えてカントリークラブまで歩こうとしていたらトンネルの前の坂でS.A.さんに声をかけられて「乗せていくから、おばあちゃん歩くの大変だから」と言われて有難かった。カントリークラブのハウスまでとても長く感じて寒いし暗いし初めて行ったのでとても遠く感じておばあちゃんを連れてはとても歩けなかったと思う。クラブハウスに行く途中にお兄ちゃんがおばあさんを連れて歩いているのを見つけて「大丈夫ですか」と声を掛けたらT君とおばあちゃんだった。「はい、大丈夫です」の声にえらいなあ、おばあちゃんを連れて行かなくちゃという一生懸命な気持ちに感心したし、ホッとした。「お父さんをお母さんは」とT君に聞いたら「お兄ちゃんとお母さんと3人で買い物に行って返って来たら地震でばあちゃん連れて逃げろって。海の様子見て来るからって」と言う言葉に、津波来たのに大丈夫だったのかなあと心配になって気が気でなかった。カントリークラブに着いたら沼ノ内の方は明るいのに真っ暗で戸は開けっぱなしで寒いし地震は来るしどうしたらいいのか不安だったが、カントリークラブにくる途中お父さんから連絡があり「N(注:お嬢さん)と向かっている。バモスは大越に置いて来た」のメール。いくら暗くて寒くてもみんないるし今晩はここで5人一緒だからといい方に考えてAとMと3人で壁際に肩を寄せて座っていた。すると何か食料を配ったのでみたらラムネと卵ボーロと麦チョコひとつかみもらって3人で分けて隣に座っている人にも分けてあげた。お父さん達がいつまでたっても来ないと思ったら「途中渋滞でかねまんから動かない」とメール。結局神谷作にHは頼んで(トイレに行きたい)お父さんはひとりでフィットで裏道を通って来た。下町のおばあちゃんやT君のおばあちゃんが椅子に座って落ち着いたのを確認して、お父さんとこれまでのいきさつ、地震の後家に行ってないから車も家もわからないと言う話を、会社の状況、帰ってくるまでの途中の状況などお互いに話し合った。その日は毛布2枚を確保してあったHの毛布と3枚でカントリークラブの床の上に4人で寝た。こん平糖とタマゴポーロがあったのをトイレの帰りに居場所に戻る時見かけて両手にもらった。その後できたてのワカメおにぎりと水道局で持って来た水がジュースも1日の夕飯でした。夜寝たと言っても実質1時間寝たかどうか、早く夜が明けてくれるのを待ってジーッと見つめていた。夜中もズーッと毛布を運ぶ車、水を持って来た車、見回りの消防車、救急車など何度も暗いクラブハウスにライトが照らされて早く朝になれと半分夢の中のような気持ちでした。これからどうしよう、家はどうなったのかなど、そんな事より早く明日になれ、朝になれとしか考えていなかった。