3月13日。


その日の夜、ご近所さんの中の旦那様が、ラジオで原発が爆発したって言ってるけど…、ってポツリと言った。


えっ?


でも、大したことないんだろうな、ぐらいにしか思っていなかった自分だった。






3月14日。


息子と二人で少しだけ2階の家に行ってみることにした。


もう積み込む余裕もない車だし、だいたいは運んだつもりではいたが、どうしても諦めがつかなかった。


それは昨晩、区長さんから、この2階の部分の家の取り壊しの承諾をしに体育館に来たからだ。


2階の窓の向こう側には、この家で押し寄せられた瓦礫や車が窓全体を覆っていた。


なので、そこにも誰か埋もれているかもしれないとのことで、我が家の2階を解体したいという申し出が区長さんからやってきた。


そこには住めないとはわかっていても、取り壊されるという響きに戸惑いを感じた。


そして、なぜか、「ごめんね」と呟いた自分がいた。


2階の家の見納めも終わり、また、体育館に戻った。


その日から、セブンイレブンさんのご好意により、おにぎりが配布された。


これが温かかったら、どんなに美味しいかと思えたが、それが食べれるだけ感謝しないととも思える自分がいた。


夕方、ご近所さんの中の1人が、「ちょっと集まってください」と声をかけられ、4家族が集まった。


どうやら、原発爆発は、かなり深刻のようだった。


そして、オキシドールを手渡された。


「4家族分くらいしかないので、周りに気づかれないよう静かにこれを飲んでください」と小声で言われた。


どうやら、飲むことで放射能から身を守れる?みたいで、半信半疑ではあったが、それを飲んだ。


まずかった…。


そして、体育館の中で放送があった。


「明日から、しばらく外へ出ないようにしてください。」


外へでないでって…、トイレは外にあるじゃない…、と頭をよぎった。


そして、4家族がそれぞれの家族単位で集まって、今後をどうするかを協議した。





我が家は、子供たちを一番に優先に考えた時、「ここからまず遠くに逃げよう」と決断した。


なるべく早くに逃げた方がいい。


なら、明日には出よう。


我が家の決断。


ある家族は、茨城県の知人の家に明日にも出る。


ある家族は、行き場がないけど、とりあえず関東方面に明日にでも逃げる。


ある家族は、私たちはここに残る。子供たちだけは親戚に預ける。


それぞれ4家族の決断。


体育館の中には知り合いもたくさんいて、今後をどうするか聞いてみると、


逃げ出したいけど、車が流されちゃってどうしようもない、という人もいた。


ガソリンがないから遠くまでは逃げれないという人もいたな。


それを聞いたときに、とっさに思った。


そういえば、息子を探しに行く前に、なぜか夫はガソリンを入れてくるといって入れてきたっけな。


夫の決断は正しかった。


きっと、こうなるのを予測していたかのようだった。


当時は、原発が爆発したことにより、ガソリン輸送車が福島入りを拒んで、ガソリン不足になっていた。


入れたくても入れられないガソリン。


お金があっても、食べ物も飲み物も、ガソリンも、何にも手に入れることのできなかったあの時。


何が一番大切なのか、考えさせられた。






3月15日。


朝を迎えた。


それぞれ出した決断に向けて、動きだす日がきた。












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震災から5年目とう節目。


少しずつ思い出しながら、書いていこうと思った…。


来月の11日まで。



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