「人を愛することって、
どういうことなんだろう?」
「実際、自分は本当に人を愛することが
できているのだろうか?」
そんなことを思ったことはありませんか?
先日、飯田史彦さんの
『愛の論理』を読みました。
―私たちは、どこまで愛せばゆるされるのか
(PHP文庫)/飯田 史彦

この本は、
キリスト教、仏教など、宗教からみた「愛」、
トルストイなどの哲学者からみた「愛」、
フロムなどの医学、心理学からみた「愛」など
70冊以上の愛をテーマにした本を
参考にして書かれた、
非常に内容の濃い、愛の本です(笑)。
著者の飯田さんは執筆を始めてから、
愛の深さを知れば知るほど、
自尊心が壊れ(苦笑)、
精神安定剤を処方してもらいながら
この本を書いた、というだけあり、
私もこの本を読んでいるうちに、
自分の未熟さを痛感して、
途中、何度も苦しくなりました(苦笑)。
それくらい、愛について考えるというのは
実は“自分との戦い”でもあるんですよね。
でも、読み終わると、
また成長の脱皮をしなくちゃなぁ・・・
というヒリヒリした気持ちと、
でも、少しだけ成長できたような
達成感もありました(笑)。
でも、70冊以上の愛の本が
濃縮されたこの本を読めば読むほど、
「愛」って人生において
一番大切なものだなぁ・・・
とつくづく思います。
日常生活では、
愛だの、恋だの言っているのは
恥ずかしいことだと思っている価値観も
中にはありますが、
日常レベルから、
もっと宇宙レベルまで心を広げると、
「結局は、愛なんだ。」という結論に
私はなりました(笑)。
そして、この本を読んで
なるほどなぁと思ったのが、
「恋」と「愛」の違いについて。
簡単に言ってしまうと
「恋」は相手の条件(容姿、性格、職業など)に
価値を感じて、相手を所有したいと願う感情で、
「愛」は相手がどんな条件だろうと
ただ存在していることが自分にとっての幸せで、
相手の幸福を願い、成長を支援すること
だそうです。
つまりは、恋している場合は、
好きな人以上に好条件の人がいたら、
すぐに代わりが見つかってしまうような感覚で、
愛している場合は、
愛している人の代わりはいないというか・・・。
以前、スピリチュアルカウンセラーのUさんに、
「人を本当に好きになるってことは、
もうその人の性格自体も二の次で、
ただ、ただその人を好きになるってことなのよ。」
って言われたことがあるんです。
そのときの私は、
「職業などの条件は気にしないけど、
性格までも気にしない!?」と驚いたものですが、
結局は、「ただ存在していることに幸せに思う」って
そういうことなんですよね。
でも、確かに親の場合で考えてみても、
親のどうしようもない短所を分かっていても、
だから嫌いになるってないですものね。
「そんな短所のある親、でも愛している。」
そういう愛情になっているのは事実です。
だから、結局、恋愛でも
最後は、その人の性格も短所も
全て受け止められるような愛し方ができると
“本当の愛”に近づくってことなんですよね。
まさに、“引き受け力”が必要というか!
(11/7 「女性を最大限に“魅力的”にするものって!?」
http://ameblo.mom/olhonne/entry-10379710225.html )
そして、これが大切なのですが、
愛していても、
無条件の「ゆるし」や無制限の「与え」を
相手に行うことでは、決してない
ということ。
それは、単に
相手に嫌われたくない「利己的な愛」の可能性も
高いと思います。
基本的には相手の存在自体を
受け止めてはいるのだけど、
時には
「ゆるさないそぶりをする」
「与えないでおく」
ことが大切で、
それが、相手の成長を支援することに
つながるとのことです。
まさに親の子供に対する愛に近いですよね。
ちなみに、
「片思い」の恋愛にしても、
「相手は自分になにも与えてくれない、
でも自分は相手の幸せを願う。」
という気持ちになれたら、
これって、かなり自分にとっても
愛の訓練になるような気がします。
ただ、ここにも注意すべきことがあって、
「見返りを求めない愛」にしても、
“自分らしさ”を失わないまま、
与えられることが必要で、
「自己犠牲」からくる行為ではなく、
「奉仕」(自己愛と自尊心に基づく献身的な行為)
であることが大切とのことです。
だから、結局は、人を本当に愛するためには
自分を本当に愛し、
自尊心を培う必要もあるんです。
結局、人に愛の告白をする行為ひとつにしても、
「例えフラれたとしても、
それは自分に魅力がないというよりも、
相手にとっては、自分はタイプではなかった、
ただそれだけのことだ。」
と思えるような自尊心がなければ、
自分が崩れてしまう可能性だってある
ことのような気がします。
だから、「自分を愛すること」も、
人に対する愛し方と同じで、
自分に対して、
ただ存在していることを幸せに思い、
自分の幸福を願い、成長を支援すること
が大切なんだと思うんです。
だから、すぐに自己嫌悪に陥るタイプもいますが、
(私もそういうタイプです・・・)
そんな欠点がある自分を「ゆるし」、「受け止め」、
でも、成長を支援するという意味では、
やはり自分を甘やかすということではなく、
ヒリヒリしながらも、精神的な脱皮を繰り返し、
オトナになっていくことが
「自分を愛する」ってことなんだと思うんです。
だからもしかすると、
“究極に人を愛する”ことの一番のスタートは
“究極に自分を愛すること”なのかもしれません。
ちなみに、
「自己愛」と「ナルシシズム」は
似たようなものでいて、
実は違うので要注意!
「自己愛」は、
「自分は自分なりにこれで大丈夫なんだ」
と思えることに対し、
「ナルシシズム」は、
実は自分を愛していなくて、
人と比べて自分は優れていると優越感を持ったり、
他人の愛や物を貪欲に求めてしまうのだそうです。
似ているようで、正反対なんですよね。
・・・と色々と書きましたが、
最後にまとめると、
結局、人を究極に愛するためは
前回、ブログで書いたように、
やはり“技術”が必要とのこと。
(10/12「愛するには“技術”が必要!?(その1)」
http://ameblo.mom/olhonne/entry-10362386841.html )
「相手がどんな人であっても許すことのできる」
という自信が持てる水準にまで
自分を高められる努力も必要だし、
「愛が冷める」時点で、
実は元々愛してなかったというか、
愛するためには、
「自然に愛する」というよりも、
潜在意識の中で、「この人を愛そう」という
決断が必要なんだそうです。
それは愛することを継続させようという意思というか。
そして、
ここからは、ちょっとスピリチュアル的な話に
なってしまいますが、
実は、人は生まれてくる前に、
人を愛そうという使命感を持って
生まれて来ているにもかかわらず、
物質社会で生活をしていくうちに、
その使命感を忘れていってしまっているそうです。
だから、
「人を愛すること」って
人生において、すごく大切なこと
なんだそうです。
そしてだからこそ、
とても難しいことなんでしょうね。
少しずつでいいので、
「本当に人を愛せる」ように、
頑張っていきたいものですね!
私もヒリヒリ脱皮しながら、頑張ります!
そんなことを思うのでした。
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