このところ私に起こっていること。4 | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
みなさんにVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きてもらうためのお手伝いができると嬉しいです^^

母の病気のことを書きつづっていますが、
これと同時に、私の中では
もうひとつ気づいていることがありました。

それは、
母と私の構図が、このがん治療でのことに
よく表れていること。

母は私と姉に
「自分のことをわかってくれ」と思っている。

そして私は母に
「私の言うことを受け入れてくれ(=私を受け入れてくれ)」
と思っている。

おんなじことを言い合っているんだよなあ・・・

若い時からずーっと、私は
どうしたら母との関係が良くなるかなあ、と
考えて考えて

自分に無理はかけない範囲ではあるけど
母と私の意見が合わなくても

自分のなかでいちばん大きなモチベーションは
やっぱり母が好きだという気持ちだし、

自分のやりたいことは母を愛することだから、
母に合わせて、母の思うように
やってみよう・・・

ってやってきたけど、

結局はやはり
自分のことを受け入れてほしい、って
思ってるんだなあ・・・

と気付きました。(まあそりゃあそうだ)

さらに、私は、そう思うと同時に
わたしの中にすでに
「母はどうせ、私のことを受け入れてくれない」
というあきらめがあることにもうすうすう気づいていました。

そんな中のこの「事件」です。

勝手に札幌の病院の院長との面談を
取りつけていた私に、
母はものすごい勢いで怒りました。

私はもう、たまらない気持ちになって
その場での話を放棄して

途中で話を打ち切って
その場を去ったのです。

表面上は一応謝ったけれども
かなりあからさまに話を打ち切っての
途中退場でした。

以前の私ならば、
きっと自分の気持ちを飲み込んで
その場をある程度まるくおさめたことでしょう。

でも、その時には
私の中のなにかが切れてしまいました。

「もういい、おかあさんはわたしの気持ちなんか
わかってくれないんだ」

と思って。

だだだだだと
二階の自分の部屋に上がって、
わんわんと泣きました。
もう目が腫れて原形をとどめないくらい。

ああ、いま思い出しても泣けてくる(笑。

で、ひとしきり泣いたあとに
思いをめぐらせはじめました。

私はいったん母の思うことをすべて受け入れる、
と決めたのに、

勝手にあれこれと調べたり
今回面談をしてほしいと思ったことは
結局「善意の押しつけ」だったのかな?

「少しでも長く元気に生きてほしい」って
思うこと自体私のエゴで、母のことを
わかろうとしてないことなのかな?

本人がその気でないのにいろいろするのは
その人の人生を、その人の決断を
私が尊重できてないってことなのかな?

今回勝手に面談を予約したのは
私が自分の意見をごり押しして
それを通したかっただけなのかな?

なんだよ、結局私が悪いのか・・・
泣ける・・・

ぐるぐるぐる・・・

よくわからなくなったときに、
ひとりの友人の顔が浮かんで、
わたしはその友人に電話をかけました。

その彼女も、
さいきん親御さんのことで
病院を転院したりした経験があります。

彼女は私の話を聴いて、

「そりゃ当り前だよ、親ってそういうこと言うし。
私は無理やり転院させたよ」

と笑いながら言ってくれて、
私の気持ちはずいぶんと軽くなりました。

そして、彼女のアドバイスもあり
別の決意が
私の胸に湧いてきたのです。

明日の院長先生との面談は、
母が行かなくてもいい。私が一人で行く。

もし本当にそれでそこがよさそうなら、
いくら嫌われてもいいから
また母に言ってみよう。

どう思われたっていい。
もうどうせ母の機嫌は損ねたんだから
一回怒られるも二回怒られるも同じだよ!

と、腹をくくったのです。

そして、もうひとつ決めたことがありました。

これまで、
母に押しつけにならないようにと
気を使いながら、

母には言っていなかったけれど
たくさんがんの本を読んだり
情報を集めたりしてきていたこと。

今回面談を取り付けた院長さんは
わざわざ直接電話をくれたり
自分の携帯電話を患者に教えて
いつでもかけて来てください、というような
先生であること。

何より、

いろんなことを調べたりしても
母が受け入れられないだろうなって思う時には
それを言うことはしなかったり

何かをすすめるとしても
タイミングを計ってきた。

それはみんな

私は母の気持ちを大事にしたい、って
誰よりも思ってきたからだ、っていうこと!!!

それを、

母に伝えてみよう!
って思ったのです。

(つづく)