※私の経験が、少しでも参考になればという思いで書いています。
あくまでも「親の死」の視点であり、私の私見です。
先日TVで、終活の話題をやっていました。
自分がもし植物人間になったときに、延命治療をして欲しいか?という問いに
20人ほどいた登壇者は全員がNOを出しました。
高齢者に聞いても、ほとんどの方が「延命治療はしないで」と答えます。
なのになのに、世の中は延命治療で溢れています。
なぜ?
決断を先送りしてるだけなのに。
いつかは必ずやってくるものなのに、決断せずにズルズルと先延ばしして、
今度は、いつ止めるのか決められなくなる。
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私の父親の最後は、眠るように息を引き取りました。
酸素マスクも外し、徐々に、徐々に、心拍数が減っていくのを、
家族でじっと見守っていました。
誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、食事ができなくなった時、
「胃ろうをしますか?」(それは延命治療をしますか?という意味)
医師から聞かれましたが、わが家の答えはNOでした。
食べることが何よりも楽しみだった父が、食べられなくなっても生き続けたいのか、
と問うた時に、恐らく父はそれを望まないと考えたから。
胃ろうをすれば、少しは延命するのだと思います。
でも、その延命は永遠ではありません。
人は必ず死ぬのであって、その時間を少し先延ばしするだけ。
いつかはやってくる「死」の時。
先延ばしすればするほど、今度はいつそれを止めるのか?に悩まされます。
今度は、いつかそのスイッチを切らねばならなくなります。
それを一体いつ決断するのか?
わが家はそれを望みませんでした。
もうこれが父親の寿命だと受け入れたのです。
そして、それを受け入れたのは、日ごろ父と会話をしていたから。
だんだん体の自由がきかなくなってきたとき、
時々父が弱気につぶやく言葉を聞いていました。
「生きるのもしんどいなぁ」「まだお迎えは来ないんだろうか」
もうこの時から私のココロは決まってました。
その時が来たら、静かに逝かせてあげたいと。
先に逝った母のところに早く送ってあげたいと。
だから、息を引き取る時は、悲しいというよりも「お疲れ様」という気持ちでいっぱいでした。
もちろん、肉親の死を一度経験しているからこそ、冷静でいられたのかも知れません。
親の意識がなくなって慌てないように、日ごろから話をしておくことをお勧めします。
私は最後の数年は、仕事のやりくりをしながら毎月帰省していました。
父親のためというよりも、自分が後悔しないためだったかも。
「あー、もっと話をしておけばよかった。何でもっと帰らなかったんだろう」
は、よく聞くセリフ。
私はその後悔をしたくなかったから。
そして、延命治療は医療費もかかります。
決断できない人が多過ぎることが、日本の医療費を膨らませていることにも繋がっています。
人が死ぬ前の1ヶ月にかかる終末期医療費の平均は1人約112万円だそう。1年間で9000億円。
全体42兆円なので、それがいかに大きな額か分かります。
色んな考えはあるでしょうが、その善し悪しではなく、
一度想いを馳せてみ見ることが、まずは第一歩かと。
その時に突然考えを巡らせて決断するには、あまりに大きなことですので。
