先日の演奏会、たったの2曲演奏しただけなのに、久しぶりの私はヘロヘロ。
もう、最後の方では、口の筋肉が疲れ果てて閉まらなくなりかけてた。
そんな私を横目に、一緒に出演したオットは、「2曲だけだから大して疲れんかったな」とのたまう。
さすが、普段から吹いている人は違うな、と感心したのもつかの間、
いや?ちょっと待てよ?
確かトロンボーンのオットは、楽譜が休みだらけだと言ってた。
休み過ぎて出るのを忘れそうとも。
それに比べて、クラリネットの私は、2曲ともほぼ休みナシ。
大きな音の出る金管が出てくる華やかな場面でも、小さな音の楽器たちでメロディアスに奏でる場面でも、どちらにも駆り出されてとにかく出番が多い。
こんな風に、楽器によって役割りは様々で、出番の多さも楽器によってまちまち。
私たちのようにいつもメロディラインにいる楽器からすると、伴奏ばかりの楽器は面白いんだろうか、なんて思ってたことも。
でも今はその考えはないかな。
楽器それぞれに違った役割りがあって、それぞれがその責務を全うすることで曲は成り立つ。
メロディもあれば伴奏もある。メロディばかりで美しい曲になるかというと、そんなことはなくて、伴奏の支えがあってこそメロディラインが生きてくる。
今回の曲の中で、私たちクラリネットは指がつりそうになるくらい速くて細かい音符の連続、しかも金管が大きな音でメロディを吹いていて、正直客席には苦労している私たちの音なんか聞こえてないんじゃないかという場面も。
確かに細かい動きは聴こえてないかもしれない。けれども、音楽が客席に届くときは全員の音が塊になって届いている。だから私たちの動きは、メロディの後ろでウネウネざわざわ、何となくうごめいている雰囲気をつくっている。
練習の合奏では、楽器ごとに分解して練習したりするので、「へーっ、あなたそんな音吹いてたの?」なんて聴いたことのないメロディラインが現れたりもする。
こんな風に、1曲の中で色んな楽器がそれぞれ別の音を奏でている。
お互いに主役になったり脇役になったりを繰り返しながら。
楽器の持つ音色はそれぞれ個性があって、それぞれに唯一無二。
それぞれが無くてはならない音色。
考えたら、たっくさんの個性が重なることで、素晴らしいハーモニーが生まれるんだなぁ。
様々な音が重なり合ってこそ、奥行きのある立体的な音楽になる。
同じ音ばかりでは生まれないハーモニー。
人間社会も同じじゃない?
個性は様々、唯一無二。
誰かに合わせて音色を変えることはない。
いろんな個性が重なり合う方が、豊かな社会になるはず。

