今年も門松はオットたちの手作り。
節の切り口が笑顔に見えるのがいい門松らしいですよ、知ってた?
うちの門松クンの大笑い、いかにも福が来そうです♪
さて、今日仕事仲間のAちゃんと話していて、彼女が面白いことを言っていた。
このお正月に、「自分の思い込みから初めて解き放たれた」と。
Aちゃんはこの年末に娘さんと2人だけで年越しコンサートに参加、東京のライブ会場で盛り上がった。
彼女の中でのお正月は家族とゆっくり過ごすのが当たり前。
独身時代も結婚してからも、子どもが生まれてからも当たり前にそうやってきた。
それが今年は、実家にも帰らず、オットと息子は福岡に置いて、除夜の鐘を聞くことなくライブ会場でハッチャけるという、これまでには考えてもみなかった行動。
ライブ会場で盛り上がる周囲の人たちを見ていて、Aちゃんはふと思ったのだそう。
「あれ?世の中にはこの時期にこんな風に楽しんでいる人たちがたくさんいたんだ」
「守らなきゃと思っていたことは、実は自分が決めつけていだだけなんだ」と。
わかるわかる、私もそうだった。
子どもの頃のお正月は、必ず家族と一緒に祖父母や親戚のいる大分へ。
大人になっても必ず家族と過ごし、三が日に友達と遊びに行くなんてことは考えられない。
(転校生なので実家=地元ではなく基本的に友達もいない)
実家に帰ること以外にも、ずっとやってきて止められないことが多々あった。
お節づくりはもちろん、家中を磨き上げる、除夜の鐘の前までには必ずお風呂に入って自分の垢を落とす、下着を全て新しいものに変える、注連縄を飾って鏡餅を置いて・・・・・・。
あれもこれもで、大晦日はバッタバタだし、できない自分にイライラするし。
母親が亡くなった後は、私が背負わねばみたいなプレッシャーでキリキリしていて、お正月にはヘトヘトだったかな。
いや、こんな話をするとオットに怒られそう。「それ、誰の話?」と。
だって、今やほとんどのことを放棄しているので。
私の「やらなければならない」常識はオットにとっては大したことではないらしく、結婚して初めて、年越しライブに行ったり海外でお正月を迎えたりを経験。
「・・・でなければならない」と決めているのは自分、「まっ、いいかっ」と決めるのも自分。
やらないことが気持ち悪い時もあったけど、人間すぐに慣れるものです。
実家に顔を出さないことが申し訳ないとか可哀そうとか考えたこともあったけど、それも自分のココロであって、親は「そんな混むときにわざわざ帰って来なくても」などと案外あっさり。
もちろん、色んな伝統を後世に繋いでいくという意味では残しておくべきこともあるのでしょうから、子どもに伝えるべきものかどうかは一考の余地アリですけどね。
わが家には子どもいないので、めんどくさい伝統は有難く手放させていただきます。
モヤモヤした呪縛を解くのはあくまでも自分。
今一度頭の中を整理してみると、また新しい世界が開けます♪
