ママでない私がママを支援する理由 | 【余計なお世話ですが】主婦力プロデューサーのブログ

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花には人間のようなかけひきがないからいい
ただ咲いて ただ散ってゆくからいい
ただになれない人間のわたし    相田みつを


人は自分に価値があるものと思いたいもの。
生きている意味を欲しがるものです。

私がママをサポートするのは、ママや子どもたちのためでもあるけれど、自分のためでもあるのです。
私の生きている意味が、そこにあると思いたいだけなのです。


私は何のために生まれてきたのか、ずいぶん悩んだ時期がありました。
不妊治療で苦しんでいた頃です。

私は20代で母親を亡くしました。
人の命には限りがあるという衝撃の事実を目の前に突き付けられ、ぼう然と立ちすくんでいました。

母が生きていた意味を必死で探していたその頃、やっとみつけた答えが「命を繋いぐという使命を果たした」ということでした。
ただ咲いて、ただ散るのだけれど、その植物でさえ種を保存しているのだと、その生き物としての使命を母は果たしたのだと。
そう思うことで母親の死を何とか自分の中に受け入れ、心の落ち着きを取り戻していったのです。

ところが、そうなると今度は、その繋いだ命を私も次に繋がなければと考えるようになりました。
そうでなければ、母親の命がムダになってしまうと。

30歳で結婚した私は、子どもなんてすぐにできるものだと思っていましたから、最初はそう心配はしていませんでした。

ところが神様というのは意地悪なもので、真剣に考えれば考えるほど、そう易々とは叶えてくれません。


ふたたび私は悩み出しました。
「私は何のたに生まれてきたのか?当たり前(に見える)の子どもを授かるということが、なぜ私にはできないのか。。。そこにはどんな意味があるのか??」
(私はどうも、意味を見出さないと前に進めないたちのようでして)

街で妊婦さんを見かけると涙が浮かび、産婦人科の待合室で「産科」から元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえると耳をふさぎ (産科と婦人科は分けてほしいと切に願います)、 部下の「出産退職」の申し出に顔が引きつり、親が子どもを殺してしまうニュースに神様の理不尽さを呪う日々。

このままでは前に進めないと、自分なりに出した答えが「私の役割はママをサポートすること」なのです。

でも、最初はそんな高尚なことではありませんでしたよ。
私がどんなに恋焦がれてもできなかったことを叶えているママたちが、幸せそうにしてくれないと、こっちが浮かばれないじゃないですか。
できないことが苦しく辛いだけに、その幸せを手に入れていることを自覚してもらいたい、そんな気持ちでした。
私が育てたかった子どもたちのためにも、ママが笑顔でいてくれないと困る、と。

暗いトンネルを抜け出し、気持ちを切り替えてから10年を超え、やっと、心から赤ちゃんが可愛いと思えるようになりました。

今では、私の役割は「ママのサポート」というよりも、ママとママでない人を繋ぐことかなと思っています。

ママのサポートをするようになって、私が想像していたような幸せことばかりではないことが分かりました。子どもに関する様々な問題も山積みで、本当に大変だなぁと思うことも多いです。

反面、赤ちゃんをカワイイと思えない、辛い思いをしている人の気持ちも、痛いほどよくわかります。
子供を産めないのは、不妊治療をしている人だけではありません。
病気の人はもちろんですが、健康だからこそ「もしかして産めたのでは」という後悔を抱えたまま、独身でいる女性たちも。。。


ただ、「ママワーク研究所」を立ち上げると、当然のように周囲はママだらけ。
「えっ?ママじゃないんですか?」と言われると、自分が偽善者なんじゃないかと考えたこともありました。

でも、仲間たちは私にこう言ってくれます。
「ママばかりだと見えないこともある。客観的に見ることができる博多美人さんの意見はありがたい」と。

そうか。ママ同士の悩みを外に伝えるときに、ママ側の言語だけでは通じないこともある。共感ばかりでない外側の人の気持ちを汲んだうえで、翻訳することも必要なんだなと考えるようにまりました。
なるほど私の立ち位置はそこか、と。

今では、だんだん大きくなってきた友人の子どもの代弁者になることも度々です。
ママ同士で話すと、どうしても親目線の話で共感し合い、思考がそこで止まります。「そうそう!うちの娘もそうなのよー」と。
でも、私は親になったことがないので、娘の反抗的な気持ちがよく分かる。「んなもん、自分が高校生の時を思い出してみぃ!」ってね。

子どもがいないことが強みになる日が来るなんて、昔の自分に教えてあげたい気持ちです。


世界は広い。
子どもがいるかいないか、そんな二者択一の狭い世界から、ひとたび外に出てみると、なんと
様々な人生があることがわかりました。
そして命には限りがあって人生は短い。

ならば楽しまなければソン。
自分の人生を前向きに生きること、生きていることを楽しむこと、きっと親の望みはそれだけなんだと、今なら思えます。

そのうえで、自分の価値なんて自分で勝手に思い込めばいいのです。
自分が得意なこと、自分が人より上手にできること、それを周囲に提供することが自分の価値なんだと思います。

生きてきて半世紀を過ぎ、やっと「ただ咲くこと」の意味が、なんとなく分かりかけてきました。
でも、せっかくの命だから、少しだけ人の役に立つ方がいいな、そう思うだけです。


今日は私の誕生日。
たまにはちょっと真面目に語ってみました♪