そもそも福島にスタジオを作ったのは、私の考えや計画があってではありませんでした。



子どもに教えるということすら、抵抗感しか私には無かったのです。


ひとつは、私には子どもがいないから。


ひとつは、業界的に子ども教室=商売(もっと汚い言葉を使うなら金づる)なことが多いから。




私が流産して離婚して、周りが変に気を使って、「子どもに踊り教えたらいいじゃない」「貴女もいい加減自分の教室を持たないと」と。


そんなものなんだろうか…半信半疑で、運良く(後に運悪くだったことに気づくのですが)すぐ近くに見つけたダンス教室へ。


会社員をしながら、会社から週1日だけ早く帰ってokの許しをもらってスタート。



ところが、なんだかその教室の様子がおかしい。


(当時の)仕事がコンサルタントだということを伝えていたためか、教室のオーナーさんから相談があると。


「このままでは倒産してしまうんです」


講師料らしきものが出ないので、薄々感じてはいましたが、そこまでだったんだなぁと最初はそれくらいの感想。


当時教えていたのはあくまでストリートダンスのおまけクラス扱いだったので、生徒もほぼおらず(後に、彼女たちはジュニアの初期メンバーとなるわけですが)、閉めることになったら仕方ないのかな、子どもたちとはもっと踊りたかったけれど。


…と考えていたのが甘く。


気がついたら勝手に物件が探し出され、「名義人にさえなってくれたらいいから、家賃は払うから」と迫られ。


年齢の割に世間知らずでお人好しだった私は、まんまと契約してしまったのです。(=福島スタジオ)



家賃払うって言ってたけれど、内装費は?…あれれ、私かなり払っているけれど…でも目立つところはストリートダンス仕様に??


オープン日はこの日に…と思った日にオープンもできず、勝手に決まっていたオープン日が7月4日でした。



そして、「南塚さんがダンススクールを乗っ取ろうとしている」「南塚さんが嫌がらせをしてくる」的なことを吹聴され始め…


レッスン中に保護者の方を使って因縁を吹っかけてきてレッスン妨害されるようにもなり…


さすがにどうしたものか、、と思い始めたところに、そのスクール宛におどろおどろしい赤や黄色の督促の封筒が次々と。


ああ、ここで私を追い出して、初期経費、内装費などを負担させようという魂胆だったのか…



そう思い始めると、続け様に他のインストラクターの子たちから「先生助けて!もうついていけない!」。


インストラクターの子たちは20代中心、中には10代もいたり。

更にその生徒さんたちというのも小さい子ばかり。


さすがにかわいそうだなぁ…



その気持ちは正解だったのか間違いだったのか。



そのスクールオーナーだった人はいよいよ様子おかしく、インストラクターたちが私に相談してきたことを聞きつけて、「乗っ取りだ!」と喚いて警察の方を呼んだり…


(後で知って警察署へ謝罪しに行きましたが、相当おかしいから南塚さんが身の危険感じたら我々を呼んでと署の方から言われました…)



そうこうしているうちに、嫌がらせも悪化。


「弁護士立てたぞ!」と明らかに嘘っぽい文章を叩きつけられ。


やむなく、こちらも弁護士さんに相談。


こちら側の弁護士さんが動いてくれた途端、蒸発。


(ちなみに今回のクローズを聞きつけてこの4年ほど放ったらかしだった残置物について何か言ってきている様子、、逆にすごい執念)



残ったのは、週一回1時間程度しかレッスンしていなかったのに、一般会社員の方の月給並の家賃のハコだけ残り。


「行き場所がないんです…」というインストラクターとその生徒さんたち、そして私がよいと残ってくれたジュニア生さんたちが卒業できるまでは頑張ろうか。


そう決めてそのまま続けたのです。



ただ、誤算だったのが、仕事と自分の生活。


当時仕事としていたコンサルタント(しかもその頃には役員になっていました…)の月給であれば、スタジオ代と生活費(マンション代や諸々)が十分賄えたのですが、だらだらとした争い(?)と須美子先生が倒れたことなどが重なり、仕事に支障をきたし、自ら退職を選択したのです。


当時の仕事は本当に自分にとって、踊りの次に生きがいだったから。


社会的にも責任ある仕事だし、それを私事で迷惑をかけるわけにはいかなかったから。


これが最初の1年半から2年目くらい。



そこから時間の許す限りありとあらゆるアルバイトをしました。


時には履歴書を見て目を剥かれたことも…(こんな高学歴の人来たことない!と言われたり、、)


結構などん底生活でした。



なんとかインストラクターの子たちの行き先も見つけ。


どうしようかなぁと思いましたが、やはりジュニアさんたちの卒業までは見てあげたい…


しばらくはアルバイトで凌ごうとしましたがダメで、マンションも維持できなくなりスタジオでの寝泊まりもやむなしの状況に。


辞めるか、それとも生徒を増やすか。



計算したら、100人生徒さんがいたらトントンになる。


私が研究生だった頃、100人以上いたし、それくらいなんとかなるかもしれない!!


そこからまた奮闘が始まりました。


結果、100人には及びませんでしたが。


スタートしてから教えた生徒さんの数ならゆうに超えてるかな?

(福島より前の時点でも教えていたのでそれを思うとたぶん200は超えてるはずで)


たくさんの方と巡り合えたなぁと思います。



運が悪いというか、最悪な状態だったんですが、閉めると決まって、これからは過去のこと、きっと笑い話に、と思っています。



実際、お米買えなくなったり、過労で入院したり(その入院費が払えずに両親に仕事を辞めたことがバレる始末)etc...こんなことが起こり得るんだなぁと。


ほんの2-3年前まで、全国飛び回って「(コンサルタントの)先生」と呼ばれていたのは幻だったかと思うほどのギャップ。




それでも、子どもたちと、モダンと、江口舞踊研究所への思いだけで、駆け抜けました。