11年前に脳溢血で倒れた
父の事を記事にしたものです
病気の事、死の事など暗い内容です。
読みたくない方は
回れ右をお願いします
今日は大好きな父が
突然の脳溢血で倒れた日
あれから11年
あの日も今日みたいに暑い日で
その日はお昼過ぎから親戚のお葬式で
午前中仕事だった父を私が
斎場まで送って行った
急いでいたのと
送っていく場所を間違えてしまって
慌てていた私は、斎場に到着すると
"早く行って!"
父にそう声をかけた
それが意識のある父にかけた最期の言葉
私はその後職場に戻って
いつも通りに仕事をしてたんだけど
1時間後くらいかな
職場の横を救急車が大きな音を
立てて通り過ぎて行った
それから10分くらいして
職場に母が駆け込んできて
息も切れ切れに
"今の..救急車..お父さん..乗ってる.."
斎場で倒れたんだと
私はいまいちピンとこなくて
だけど、あの父の事だ、大丈夫だろう
漠然とそう思った
その時間職場には誰もいなかったから
人が帰ってきたのと入れ替えに
父の事を告げ病院へ
父は集中治療室で酸素マスクや
色んな機械をつけられて横たわっていた
母に容体を聞くと
3日は持たないだろうって...
何を言ってるのかすぐに分からなくて
だって今日の午前中まで仕事してたよ
ついさっきまで話してたんだよ
"早く行って!"
そう言っちゃったよ
父の手を握った
あったかくて、ほら、ちゃんと生きてる
お父さん!
呼びかけたら一瞬手がピクッと動いて
私の手を握った
でも目を開けることはなかった
起き上がって、いつものように
"どうしたおはるん"言ってくれない
その日は全然訳がわからなくて
でもあと3日?
少しでもそばに居たくて
病院の仮眠室で泊まった
まだ2歳と3歳だった息子達のことは
旦那と旦那の実家にお願いした
翌朝起きてみても
父が倒れた事は現実で
やっぱり父は目を開けなかった
母も私も目を覚ますことは
絶対にないんですか?先生に聞いた
脳溢血で切れた頭の血管
毛細血管のような細いものだったら
後遺症は残ったとしても
生存率は決して低くない
でも父の切れた血管は
脳の中でも大切な脳幹という太い血管
脳に出た出血の量が8g程なら
助かる見込みはあるが
父の脳内に出た出血は32g
4倍か。素人だけど
これは厳しいんだろうな。そう思った
もし奇跡が起きて命が続いたとしても
良くて一生植物状態ですと
最悪父は3日以内に死んで
最高でも植物状態...?
さらに父は腎臓を患って
透析をしていたので
寝たきりだとしても
定期的に透析をしなくてはいけない事
それには莫大な金額がかかること
つまり良くて植物状態になったとして
その後も莫大な治療費がかかり続けるのだと
でも、ベッドの上の父は
ただ寝てるみたいだよ?
全然苦しそうじゃないよ?
しばらく実家に泊まることになった
ずっと2人の妹と一緒に
千羽鶴を折り続けた
他に出来ることが分からなかった
夜になって車の音がすると
父が帰ってきたのかと思った
父が大好きだった甲子園が始まった
先生に許可を取って
枕元にラジオを置かせてもらった
この年我が県の代表は
初出場の地元の公立高校で
父は甲子園が始まるのを
いつも以上に楽しみにしてて
ラジオをつけたら
今にも父が起き上がって
応援しそうな気がした
職場には事情を話し
出来るだけ父のそばに居た
妹や母もそばに居た
それでも集中治療室の中
長時間の滞在は出来なくて
後ろ髪引かれながらも
自宅へ帰る。鶴を折る
3日が過ぎた
先生の言う奇跡が起きて
父は生きていた
先生と相談の上
お金がかかってもいいから
透析をして欲しい旨を伝えた
先生はこの状態の患者に
透析をした事はうちではないと言って
はじめは取り合ってくれなかったけど
私たちの熱意に応えてやってくれることに
通常3時間程度で全身の血を
洗う透析だったが
父の場合は1日かけてゆっくりゆっくり
血を洗うという作業をしてもらった
透析中に死んでしまう事もあると言われた
きっと先生はそんなことしても
意味ないって思っていたかな
ただ、お金だけがかかるよって
だけど私たちは奇跡のさらに奇跡を
信じたかったし
少しでも出来ることがあるのなら
父にしてあげたかった
それから父は本当に良く頑張ってくれて
毎日病院へ行くと
温かい手を握ることが出来た
地元高校も一回戦を突破した
父が目を覚ました
ある日そんな夢を見た
でも父はやっぱりそのままで
でも一週間、二週間
時が流れるうちに、本当にこのまま
奇跡が起きるかも
そんな風にさえ思えてきた
相変わらず毎日病院へ行く事は
変わらなかったけど
私もいつまでも仕事を休めないので
通常通り職場へ戻っていた
8月24日
その日もいつもの通り
外回りに出かけて10分程したころ
会社から電話がきた
ついにきてしまったか
父の容体が急変した
慌てて病室へ駆けつけたけど
間に合わなかった
父はいってしまった
"早く行って"
あんなこと言ったから
待っていてくれなかったのかな
だけどまだ手は温かかった
お父さんありがとう
それだけ伝えた
亡くなった父の体を
家族みんなで綺麗に拭いた
背中側は床ずれで
皮膚の色が変わっていた
小さい頃私と妹を
両方の力こぶにつかまらせて
持ち上げてくれた父
怒ると怖くて
ごつごつした手でげんこつされた事も
あったっけ
中指と薬指を突き出した
猛烈に痛い父のスペシャルげんこつ
前に限定記事で書いた通り
母との喧嘩の仲裁で殴られた事もあったな
小さい頃は怖かった父
だけどいつも味方でいてくれた
孫を誰よりも可愛がってくれて
実家へ行くと息子たちをいつも
膝の上に乗せて
ミルクもあげてくれた
たまに仕事さぼって孫の顔を見にきたり
家族みんなで綺麗に体を拭いた
その後葬儀屋さんがきて
父は我が家へ帰ってきた
3日って言われたのに
3週間も頑張った父はやっぱり
偉大でかっこよくて
自慢の父だと思った
父の急変から病院へ駆けつけて
家へ帰っても不思議と涙は出なかった
この3週間たくさん父のそばに
いることが出来た
妹や母とたくさん父の事を話せた
地元高校は2回戦で敗退した
父が63歳
私が23歳の夏の日だった