①ありがとう | ひめうずら 時々 犬 たまに ロダン

ひめうずら 時々 犬 たまに ロダン

主とインコとわんこの
ドタバタな日常

お久しぶりです。


ブログ更新をお休みしている間、

じじ様の容態が急変し治療の甲斐もなく

7月27日20時07分に永眠致しました。


コロナが増えてきたせいで

毎日の面会は叶わず、週1の面会が続いて


面会の度に

目に見えて容態が悪くなっていたじじ様。

肝臓に加え腎臓も限界を迎えて6月21日には

人工透析になり


元気なうちに(まだ話が出来るうちに)

みんなと面会したいと言うじじ様の願いも

主治医に聞き入れて貰えず

7月19日に「肝性脳症」を発症。


21日の早朝、病院からの

すぐに来てくださいの連絡で

着の身着のまま駆けつけたけど

既になんの感情もなく

そばに居るのが誰なのかも分からないままの

面会になりました。


その日のうちに血圧低下、呼吸も浅くなり

ICUに移動して24時間の人工透析と

人工呼吸器をつけることになったじじ様


どれだけ頼んでも叶わなかった毎日面会が

可能になった時には

もう意思の疎通も会話さえも

出来なくなってるなんてほんとに皮肉だね…


次の日、

主治医から「延命はどうしますか?」の問いに

「する!!」の一択だったけど

心臓マッサージを施せば

肋骨が確実に折れるという事、


そこまでしても多分、

数分~数十分の延命にしかならない事を聞いて

じじ様にこれ以上辛い思いをさせたくなくて

「延命はしません」の選択をしました。


今までは何とか回復して家に帰ってくる事を

祈ってたけど

主治医からの延命の話を聞いて、

あぁ、、じじ様はもうダメなんだな…と

受け入れたくない現実を

突きつけられた気分でした。


考えるのも嫌で避けてきた

葬儀社の「事前説明会」にも行き

じじ様の最後の望みだった

「柊との別れ」が出来る葬儀社を見つけて

じじ様が居なくなる事をますます実感…。

(結果、この葬儀社はほかの葬儀の方と重なって利用することが出来ませんでした)


26日。病院から電話。

「会わせたい人がいたら

会わせてあげてください」


やっと、じじ様の妹や親族、親戚に

逢わせてあげることが出来たけど

もっと早く会わせてあげたかったな…


次の日(27日)

朝から病院待機で

ずっとは一緒にいられなかったけど


数時間おきに面会させてもらいました。

顔を拭いてあげたり手を洗ってあげたり

話しかけたら目が合うことは無いけど

目だけはキョロキョロして


何回目かの面会では目もつぶったままになって

覚悟の時間が近付いてきた気がしました。


看取りは面会人数に制限があったので

オンマと弟と決めていたけど、

主治医が「奥様(ばば様)」も会いませんか?

と声をかけてくれたので


大急ぎでばば様を迎えに行こうと

娘に連絡して迎えに来てもらってた矢先、

弟から「戻って来い!!」の連絡。


オンマがICUに戻ってじじ様の手を握った瞬間

オンマの手を握り返してそのまま

じじ様は永遠の眠りにつきました。


私は小さい頃からじじ様が大嫌いでした。

何かある事に暴力、暴言のじじ様。

世界は俺(じじ様)を中心に回ってるを

地で行くようなひと。

甘えようとしても甘えられ慣れてないじじ様は

わざと距離を置く態度で


私たち兄弟3人、1度たりとも

じじ様に甘えたことはありません。


生涯「船乗り」で気性が荒く、

我が子にはとにかく厳しかったけど

孫や曾孫、類、柊、うちの子たちには

びっくりするほど優しかったじじ様。


兄弟の中で私だけはいつもじじ様に反発して

喧嘩して、私が実家に戻ることになった時も

「一緒に住んでいい」と言ってくれたのに

一緒にいたくなくて

娘と2人出ていってしまった。


それでも最期の最後に頼ってくれて

甘えてくれてありがとねお父さん。

心配ばっかりかける娘でごめんね


お父さんとの最期の約束

「頼むから柊も葬儀に参加させてくれ

別れがしたい」

果たせなくてごめん。

でも、努力はしたんだよ!


お父さんが心配してた「お母さん、柊、弟」は

私が責任もって面倒見るから

安心して類と一緒に空から見守っててね!


今だから言える

私はお父さんとお母さんの子供に生まれて

本当に幸せです。

厳しくてもここぞの時には

いつでも真っ先に助けてくれたお父さん

本当にありがとう。


今更だけどお父さん!

口ではお互い言葉にしなかったけど

大好きだよ!!