天命に気づき
その道をすすむことを「決意」して
その道をあるきはじめた瞬間から
ひとは 「柱」 になる。
魂の中に
「天」と「地」を繋ぎ
双方を支える ささえる
「柱」が立つ。
一柱、二柱…
「神」を「柱(はしら)」と数えるのは
そういうことだったんだ。
自分の魂がかかげる
「天命」に従って
どんなことがあっても 全力を出し切ることを
決めた存在
ということだったんだ。
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冒頭に記した「ことのは」は 昨年の12月に
ガイドさん?かどなたかに
私に対して「『しん』の御柱(みはしら)が立った」と教えてもらった時に
心に湧き上がった想いを
改めて 言葉にしたものです。
↓その時の記事はこちら。
ふと、この時の想いを思い出したのは、
ある記事にいただいたコメントに
「軸がぶれやすい」というお悩みを見たからでした。
巷(ちまた)で 「自分軸」という言葉を見かけますよね。
その本来の意味は、私はよく知らないんですけれど
以下のようなことが 思い浮かんだのです。
「自分軸」 というのは
天地を繋ぎ支える「光の柱」のことなのじゃないかって。
「光の柱」というのは、冒頭の「ことのは」にて
表現したものです。
「柱」というのは、両端が固定されていなければなりません。
地(地球)においての
「生命を大切に維持していくための現実的な活動」
が地の固定点。
天(宇宙)においての
「進化・大調和のシステムの中の、いち歯車としての役割を果たすこと」
(天命であり、魂の目的)
が、天の固定点。
「柱」と表現しましたが
これは、硬く融通のきかないものではなく
柔軟で「しなる」ことができる
左右前後、さまざまな刺激によって
形容を変えることのできる
弾力性のあるものだと
私は思いました。
過去にも未来にも
陰にも陽にも触れることができますが
どれだけ ぐにゅーっと やっても
両端の固定点さえ、しっかりと接続していれば
ポンと手を離せば、プルプルプルっとたわみつつ
元の位置に戻ります。
しかし、「固定点」との接続ができていなかったり
その力が弱い場合は、少しでも刺激を与えられると
あっちへフラフラ こっちへフラフラ、
おっとっと。
このように柱は「立っていません」。
不安定。元にも戻りづらいです。
「自分軸」って
こういうことなのではないかしら?
と思ったのでした。
地の固定点は、よっぽどよっぽど
『現実逃避のスピリチュアルお花畑脳』でない限り、
誰もが、接続を持っているのではと思うのです。
ブレる軸にふりまわされがちな時に大切なのは
「魂が果たそうとしている目的」をしっかりと志に抱き
天の固定点との接続を強化すること
なのではないかなあ![]()




