島根・出雲の神在月
旧暦の10月であり
現在の11月下旬~12月上旬に
祭礼を行う神社さんが多いです。
神様が集まるとされる月
新暦10月15日頃からスタートします。
地図上の熊野大社や小田神社でも15日から
色分けしていますが
東出雲王家領が旧王宮 神魂神社と
物部東征後の移転先 熊野大社
西出雲王家は智伊神社が王宮とされています。
出雲の歴史は戦いの歴史でもあり
物部軍は西方、石見国の物部神社を拠点に
小田神社を前線基地に西出雲に攻め入りますが
これは第二次物部東征という3世紀前半の出来事
当時の重要な場が後に神社となったものです。
物部氏とは
大陸から渡ってきた徐福と技能集団を祖とされています。
下の図の通り現在の島根・石見エリアから
九州へ渡り、現在の宮崎県西都市、西都原の
都万王国(つまおうこく)を併合
その後大分県宇佐市 宇佐王国も併合
宇佐豊玉姫などと共に東征の後の話となります。
卑弥呼こと豊玉姫は厳島近く安芸国で没します。
宮島、厳島が仮墓地であったため今も祀られています。
さらっと歴史の話を書いてしまいましたが
これは我が国の公式歴史ではありません。
一部の伝承に残っているもので
我が家一族が「中の人」であるため
そのまま伝わってきたものです。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
母の家系の大元は石見の
佐毘売山(さひめやま)
注:現在の三瓶山です
信仰を古代からしていた
土着の媛巫女の家と聞かされています。
物部軍の侵攻で物部氏に取り込まれ
後に第二次東征で占領する西出雲王朝からも
祭祀できる媛巫女を后に。
当時でもどういう女系遺伝の強い家か
解っていたのでしょう。
はるか後の6世紀からは現在の姓の家系図として残り
12世紀末には本家男子は物部神社の継承者となります。
物部氏の侵攻拠点の地での祭礼
もちろん和合後のことですが
10月16日は母の命日
1800年弱の時を経ても
何かを伝えたい先祖の遺志が
あるのでしょうか。

