原一男監督の「全身小説家」。
井上光春(以下井上)のS上結腸癌の術後から始まるお別れ会までの約5年間を記録。
この映画の始まりは、1989年12月16日。電車の音とともに西武秩父駅の前で満面の笑みで迎えの人に「大丈夫」と声をかける所で始まる。井上光春文学伝習所での合評会で辛口で受講生を指導する井上、そして化粧をしてかつらをかぶり女装姿でのストリップが始まる。エッ、グロテスク!!と思うが、見続ける。
S上結腸癌術後の闘病生活を追うと同時に、祖母から「嘘つきみっちゃん」と言われた井上の自分語りの虚実、親しかった人々が語る井上の人となりなど、複雑で重層的な構成だ。
映像が捉えた微妙な表情や姿勢。
井上光春文学伝習所の人々。表情豊かにうれしそうに井上のことを語る門下生たち。
年上である埴谷雄高のやさしさや包容力。
42歳の瀬戸内寂聴と38歳の井上の出会いとその後に続く愛人関係、寂聴の出家後も妻の郁子をも含めての関係。
井上の家庭での様子と、外での人々とのやり取りの違い。
瀬戸内晴美から出家して寂聴になったこと、TVや新聞、雑誌にたびたび取り上げられるので多少は寂聴さんのことは知っていたが、井上光春の作品は読んだことがない。
でも、この映画を見て井上光春の作品を読みたいと思い始めてきた。
世間で活躍する井上光春は、情熱的でエネルギッシュ。
家庭では穏やかで優しく、亭主関白づらはしない。奥様の郁子氏は一歩下がって夫が気持ちよく暮らせるように家庭を切り盛りしている感じ。後で知ったことだが、同じ佐世保市出身で和菓子屋のご長女。しかも大学卒業後に、国語教師でになり、彼女の小説が雑誌に掲載されている。光春と知り合い数年で結婚し一緒に上京し、光春が締め切りに間に合わないときは、光春名義で雑誌に掲載されたこともあったという。
講演での「フィクションとは何か」「生きるとはどういうことか」「小説を書くとはどういうことか」など語りながら、小説家としてどのように書いてきたかを説明するためにご自分のことも語るが、そのストーリーも虚実ないまぜ。
人は自分が恥ずかしいこと、知られたくないことは省いて物語を構成するが、自分の居る場所がその土台であるので、フィクションを語るにもリアリティが必要だ、などとうそぶく。
眼の前にいる人に対して、その人の魅力を一瞥でとらえられる人間理解の名手かもしれない。その上に、人に喜んでもらいたいという気持ちがとても強いゆえに「人たらし」になっていく。
映画に後半になると、井上が語る経歴について事実ではないことが明らかにされていく。中学に進学しなかったのは、父親が受験料を書留で送ってこなかったからと説明するが、実際は試験に落ち、高等小学校に通いながら猛勉強して専検(旧姓中学校卒業同等資格)に合格。この時期には鼻血を洗面器一杯出すなど神経衰弱になっていたという。学歴のない井上は文壇では孤独で、寂聴に興味を持ったのも学歴コンプレックスがあったせいかもしれない、と寂聴は語る。
日本で一番初めに共産党を作り、給料が遅配するなどあったためにこれでは革命は成功しないと共産党を除名された、ことについてのその時期に活動を共にした同志だった女性の話。共産党事務所の雑役夫身分であり、新日本文学会誌に「海豚の詩」という詩が掲載され、党活動より文学の道に進むことを考えていたのだという。
井上を語る人々のほとんどは、笑顔で彼のことを語る。
そして兄貴分のような理解者でもあるような埴谷雄高は、肝切除後に病室を見舞う埴谷に対していろいろと気を遣う井上に対して「病人が見舞客に気を使ってどうする。もうサービスはしないで自分のことを一番に考えなさい。今日がその始まりだ」と井上を叱るが、それでもエレベータまで送ろうとする井上。いつもの行動が制されて不満そうで不自由な感じの井上。
気遣いの人井上光春は、文学伝習所の生徒たちが見舞いに来ると喜んで迎え、沈黙の後にも彼らを笑わせて笑顔を見せる。妻の郁子はそういう井上をよくわかっており、生徒さんを温かく迎えお料理とお酒を振る舞い、宴席を片付ける。井上が動画スタッフに「ビールでも飲んでいって」と声をかけると、妻はまたビールを用意したりする。井上光春にとって、妻が一番の理解者であり伴走者であったかもしれない。
この映画は、いろいろな見方ができるように思う。
ブログやnoteで取り上げられる数も多いので、文学愛好家でなくても、生きること、自分を理解することなど、自分を振り返るうえで様々な観点が用意されている映画だと思う。