これまで他者には正解を与えなければならないと思ってきた。

 

まず自分が正解していなくてはならない。

 

正解しているから、他者に正解を与えることができる。

 

不正解ではダメだと決めつけてきた。

 

不正解に価値なんて無いと思ってきた。

 

間違えたら、みんな私から離れていってしまうと思ってきた。

 

不正解の人生を歩んでいたら、誰からも愛されないと信じこんできた。

 

正解しなければならない。

 

正解し続けた結果、愛をもらえるのだと、頑なに思い続けてきた。

 

間違えないことが唯一、愛を受け取る秘訣であると疑わなかった。

 

そうじゃなかった。

 

誰も私に正解なんて求めていなかった。

 

もっと世界は優しかった。

 

世界は言ってくれた。

 

「あなたが、どうしているか、何を考えているかを知りたい」

 

ただ、それだけを言ってくれた。

 

誰も私に正解なんて求めていなかったんだ。

 

不正解でも、よかったんだ。

 

正解を与え続けなくても、よかったんだ。

 

私は間違えても、よかったんだ。

 

何て勘違いをしていたのだろう。

 

不正解を与えても愛されていいと知らなかった。

 

いや、分かりたくなかった。

 

不正解のまま愛されてはいけないと思い込んでいた。

 

世界は私に正解を求めているに違いないと決めつけてきた。

 

正解し続けなければいけないという強迫観念を、ずっと握りしめて生きてきた。

 

間違っていたら、価値が無いと思い込んでいた。

 

なのに、それなのに、あなたは不正解の私を愛してくれた。

 

間違えた私に優しく微笑んでくれた。

 

正解じゃないのに笑ってくれた。

 

その時に気付いたんだ。

 

どうでもいい人の正解なんかよりも、大好きな人の不正解と一緒に生きていきたいって。

 

正解なんて、いらなかった。

 

間違えても、よかったんだ。

 

正しいとか、間違っているとか、そんなことはどっちでもよかったんだ。

 

正解だろうが、不正解だろうが、そんなことはどうでもよかったんだ。

 

あなたは私に、そんなことは求めていなかった。

 

大好きな人が、どうしているか、どうやっているか、どう感じながら生きているのか。

 

あなたが知りたいことは、それだけだった。

 

私の知りたいことも、ただそれだけだった。

 

それだけが二人にとっての価値だった。

 

あなたと一緒に間違えたい。