ごきげんよう。![]()
今、通勤時に読んでいるのは、俳優の高倉健さんの手に成るエッセイ、
あなたに褒められたくて
です。
寡黙なイメージがある健さんですが、実はイタズラ好きだったりして、素顔が垣間見れる作品です。
健さんは幼少の頃、肺を病み、小学校2年生を1年間休学しました。
ご両親は、夜中に熱を出した我が子を背負い、何度も病院に駆け込んだそうです。
そんな健さんに滋養をつけさせようと、お母さんは毎日鰻を食べさせました。
子供心にお母さんの気持ちは理解できたんですが、さすがに毎日の鰻は辛く、今でも一番苦手だそうです。

成長した健さんが俳優になると、お母さんはよく映画館に足を運んだそうです。
昭和52年に公開された
八甲田山
を観に行った後、お母さんは
『あんたも、もうこんだけ長い間やってるんだから、もうちょっといい役をやらせてもらいなさいよ』
と言いました。
『もうその雪の中ね、なんか雪だるまみたいに貴方が這い回って、見ててお母さんは…切ない』
では、今日の言葉です。
【 親が子に対する愛情こそは、
まったく利害を離れた唯一の情緒である 】
~ イギリスの小説家 サマセット・モーム ~
お母さんは観客としてではなく、母親として健さんを見ていたんですね。
病弱だった子供の頃のこととか、胸によぎったのでしょう。
心が温かくなる、エピソードですね。
映画、
八甲田山
の簡単なあらすじです。
( 実話を題材にして、一部創作を加えた作品です )
日露戦争を目前にした明治35年、第四旅団司令部での会議で、ロシア軍と戦うには雪、寒さについての寒地訓練が必要と決まり、冬の八甲田山がその場所に選ばれた。
雪中行軍は、徳島大尉率いる弘前第31連隊、神田大尉率いる青森歩兵第5連隊が、弘前と青森から出発し、八甲田山ですれ違うという内容で決まった。
徳島隊は、わずか27名の編成部隊で弘前を出発。
行軍計画は、徳島大尉の意見が全面的に採用され、隊員は皆雪になれているものが選ばれた。
神田大尉も、少数精鋭部隊の構成を申し出たが、大隊長山田少佐に拒否され210名という大部隊で青森を出発。
神田大尉が用意した案内人を山田が断り、神田隊は低気圧に襲われ、磁石が用をなさなくなり、その結果遭難し、210名中199名が死亡する。
一方の徳島隊は女案内人を先頭に、八甲田山に向って快調に進み、全員生還する ![]()
徳島大尉を演じたのは健さん、神田大尉は北大路欣也さん、そして、隊の指揮系統を乱し、大量遭難の原因を作る山田少佐は、三国連太郎さんが演じました。
健さん、大役ですよね。
私はこの映画を真夏に観ました。

でも、スクリーンいっぱいに雪原が広がり、猛吹雪で視界が閉ざされた中、バタバタと人が倒れて行き、本当に恐ろしく、寒さを感じました。
CG加工などではなく、実写ですから、役者さん達は大変だったと思います。
まるでドキュメンタリーのようでした。
有難い
と思ったことは、その時までありませんでした。