1年前の今頃、予定日を1週間以上過ぎて、ちょうど、陣痛促進剤を2日投与した頃です。
かなり昔のような気もするのですが、自分の備忘録もかねて、
不思議な出産体験を記しておこうと思います。
毎日、心音があるかドキドキしながら、朝を迎えていました。
なにせ、高年出産ですから。
結局、陣痛らしきものはこなくて、いろいろ考えた結果、
医師が休みになる前の金曜日に、帝王切開で産むことにしました。
結果的に3900gの赤ちゃんだったので、普通分娩だったらえらいことだったと思います。
感動的だったか、というと、「こんにちは!」って感じで、
よろしくね~っていう気持ちの方が強かったように思います。
ただ、出産したその日に見た夢がとても不思議だったのです。
私は17歳の時に、婦人科の病気で手術・入院しました。
20数年も前の当時は、産婦人科と婦人科は分かれてなくて、
私の隣には妊娠中毒症の妊婦さん、その他は子宮筋腫のおばさん達でした。
同じ部屋に、これから命を生もうとする人と、それを取ろうという人がいる、
なんとも酷な空間だな、と17歳ながらに思っていたものです。
そういう私もその空間では異色だったと思います。17歳ですから。
部屋を出るとすぐに新生児室があり、これまた今なら気軽に見れませんが
(やはりセキュリティとプライバシーの問題でしょうか)
当時、誕生日を前後に入院していた私は、同じ誕生日の赤ちゃんを見つけました。
ある日赤ちゃんを見ていると、その子のお母さんがやってきました。
「私と同じ誕生日なんです」と話しかけたように思います。
そのお母さんは、何とも言えない、穏やかな優しい表情で私と赤ちゃんに微笑みました。
その母性あふれる笑顔に、
「あぁ、一生勝てないな」と、言いようのない敗北感が全身を支配しました。
なんとなく、負け組、みたいな気持ち。
術後、医師からの説明で99.9%良性とのこと。
「年齢的なことを考えて、できる限りの可能性を残しました」
当時はその意味の深さを実感できませんでした。
でも、今なら分かる。
常に意識していたわけではありませんが、
たとえ少なくても、
可能性を可能性として守り続けてきたからこそ、出会った命だったように思います。
また別の機会に私が体に対してやってきたことを綴りますが。
ひと言でいうと可能性を無駄にしなかった。
お客様から、「赤ちゃん欲しかったんですね」と言われたことがありますが、
私の感覚では、「お母さんになれるチャンスがあるなら、なりたかった」と言った方がしっくりします。
40歳までに結婚をしたのもしかり。
残してくれた可能性に、賭けたのです。
話を戻します。
あの、「一生勝てない」といった気持ちが、今までの私の原動力だったように思います。
負の気持ちからの努力は、正直しんどいです。
人と比べての不幸・不利。それを回避するための努力だから
努力している私を認めてほしい、ねぎらってほしい、なんて思うわけです。
頑張りすぎる人には多いのかもしれませんね。
出産した日に見た夢は、17歳の私が赤ちゃんを見ていました。
17歳の私はちょっと複雑な顔をしていました。
全てが繋がった瞬間。私は、17歳の私を抱きしめていました。
全てが溶けていくような感覚。
20数年たってようやく癒された気がしました。長かったね、私。
自分を大切にすること、小さいうちから伝えていきたいと思います。
もうすぐ1歳♪
この出産経験があったからこそ、これからのサロンの在り方も少しずつ変化しています。
よかったら、去年のサロン記念日に綴った記事もご覧くださいね。

