人を理解する力に【占いを欠かすことはできない】 |  運命学問研究家 檜原有輝

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運命学問研究家の檜原有輝です

先日、夫が言いました。

「占い」って言葉がよくないわ。勉強量は半端じゃないし、歴史も古い学問なのに。占いってさ、まるで適当にやってるみたいなイメージやん。「鑑定」とか「学問」とか。もっと重みのある言葉で定義づけして欲しいな。


まぁ…そんな風なことをパパが言ってくれるなんて(笑)
昔は…「たかが占いやろ?」と鼻で笑っていたくせになぁ


私がこの学問を目指したきっかけは母親でした。占いというものを最も信じないタイプの人だったのに、定年を迎えてから猛勉強を始めたのが四柱推命だったのです。彼女もなにかキッカケがあったのでしょうね。自分の勉強がてら、もっぱら私の運勢をみて、結婚運が悪い!結婚できへんで。そんなことを言われました。結婚願望の強かった私は、そんなことないわ。と思いながらも、ふと思い当たる節があり、、、どんなに願っても、努力をしても、結婚ができず、思わぬどん底に落とされることばかり。人間不信どころか、なぜ?私だけ?一生このまま?と疑問を持ち始めたことから、この学問を取り組み始めたのです。


運勢が悪いと思いながらも、努力を重ねましたが、やはり悪い運気が遠のくまでは結婚はできませんでした。無駄にあがいた分、たくさん傷ついて失敗もしましたが、今はそれも良かった経験だと思っています。逆に結婚が決まらないことが幸いでした。おそらくその時期に出会っていた人とは上手く行かなかったことでしょう。


母も「占い」という言葉を使うな。と言いました。確かに…言葉は軽いですよね。スピとも間違われるし。この学問を簡単に理解しろとは言えません。一代で達成できる占術域は知れています。だから学問は引き継がれなければならない。後世にも、時代が変わっても、生きる重要な術として語り継がれていくものだと思っています。


ただ、、、私も運命学問研究家と語っていますが、、、なまじっか、占い師でも呼び方は良いんじゃないの?と思ったりもしています。


だって
人間の人生の運を推定する学問


断定ではなく、推定。


神様でもないので、学問で人生を決めるわけではなく、人の人生の運を推定して、よりよく運を活用してもらう学識なのです。推定ならば、占い。でもおかしくないのかもしれない。そう思うと、、どっちでも良いような気がするのですよね。



…と夫に言ったら、、、


いや。占いはやっぱり軽すぎる。


…まぁ、占いを信じなかった夫を、そこまで言わせたので、私のやってきたことは、すでに充分すぎるほど報われていると言っても良いのだと実は満たされた気持ちです。理解してもらえる人に出会えたこと、自分が自分にできることをちゃんと間違わずにやってきたこと。誇りに思います。



占いも、、、人によっては色んな目的に使います。
しつこいですがこれも学問なのでね。使い方によっては悪用することもできるのです。とても悲しいけどそれが人間ですからね、もちろん戦争に使うことだって出来るのですよ。



私はなぜ占いを続けてきたのでしょう。


それは
人間というものを理解したかったから。
…この一言に尽きるのかもしれません。



私の人生は、人に理解されないことだらけでした。言いたいことも、やりたいことも。何をやっても本質的な理解には遠い形で、人に誤認されてしまう。そのことが寂しくてやりきれなかった。


人は人を完全に理解することなど出来ません。もちろん自分を客観視することもできません。自分をどうやって理解して、どの方向性に向かって生きたらいいのか、悩みまくり。自分を大切にする方法もわかりませんでした。


思いだけで人生は思うままにはなりません。ある程度の失敗を重ねれば、人はそれに気づき、人は人生において、どうしようもない力が働いていることを気づき始めるのです。


世の中には、そんな人たくさんいるでしょう。運が良い時には自分の功績を驕るのですが、、、運が悪くなると、人や世のせいにして、憎しみと悲しみを自分以外にぶつけるのです。これを防衛本能というので、致し方ありませんけどね。


健康に恵まれない人、親に恵まれない人、結婚に恵まれない人、お金に恵まれない人、環境に恵まれない人、仕事に恵まれない人、そのために犯罪を犯す人、人を殺してしまう人、戦争を繰り返す歴史…


人は人の中に、神も、悪魔も作り出す生き物。高度な思考がそうさせるのです。


人の感情の憎しみ、悲しみ、現状を受け止められない辛さ、そういう形に見えないものに襲われる闇や恐怖は恐ろしく精神をむしばみます。


人に話を聞いてもらっても、少しでも自分への理解がズレていたり、違う方向に解釈されると、そこからさらに孤独感は増します。心療内科や、カウンセリングは今の世では大きな役割を持ちますが、やり方しだいによっては、この心の闇の本質的な理解をできないズレが、さらに患者を絶望や失望に陥れるきっかけになることもあるのですよね。


私もその一人でした。次第に人が嫌いになり、人に失望していくようになりました。自分が自分で納得できるものはこの運命学問だけでした。私は占いへ長くは通わず、とにかく自ら学び続けました。すると納得することだらけ。その言葉が欲しかった!そう思って楽になれたのです。


それはカウンセリングで回数を重ねても、けして理解してもらえなかったことまで、納得することができました。今の医学にも、すべての職種にも正しく使えば、この学問はなんら損はありません。


これは誰にでもあるのですが、、、人間には【自分と、他人。自分と社会との距離のズレ】があるのです。そこを知ることによって、状況によって、人を傷つけすぎることなく、人を見放すことなく、上手に人との関係を掌握することが出来るようになったのです。もちろん必要以上に自分を責めることはなくなりました。


人は人をすべて理解することはできません。でも寂しさのあまりにしてしまう罪、いじわる、暴言。そういう行為の中にあるものに対して、少しでも本質的な理解に近づけたなら冷静になるでしょう。そのことを皆は知らないのですね。


私に鑑定を依頼される人は、自分を理解したい。今の自分を少しでも本質的に理解してほしいい。大切な人を本質的に理化したい。そう思って頼ってくれる人もたくさんいます。


運勢が悪い時には、周囲からは否定しまくりで、人間の価値をそこで決めていました。でも今は幸い、運勢がいいのでしょう。明らかに小さなトラブルは、小さいままで済むようになりました。すべてが運勢のせいではないかもしれませんが、たとえようのない四方八方塞がりの閉塞感が懐かしいくらいです。


もし、運勢は変わる。と知らなかったら、自分の人生に失望しまくって、生まれてきた喜びも知ることなく自ら命を絶っていたかもしれません。




運勢は残酷ですから、時には諦めの境地も教えてくれます。自分に合わない人がいる。自分には近づかない方がいい時もある。そっとしてあげるべき時もある。力を発揮できない時期もある。


思いだけでは人には届きません。思いだけでは願いはかないません。どうにもならないことに気づいたとき、この学問が必要になってくるのです。自分の思いを押しつけるだけの驕りを持たず、先人たちが築き上げた、人間のための歴史の運命学に身を任せる方法もあるのです。






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