娘が運動家でのできごとを
作文宿題に出されたとのこと。
娘
「ママ~運動会のことを
ここまで書きなさい~![]()
(原稿用紙三分の二くらい)
って言われたけど
書けない~~~」![]()
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見てみると。
リレーをはしりました。
三番目にはしりました。
青チームがかちました。
楽しかったです。
ダンスをおどりました。
楽しかったです。
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まぁ、、、
こんなもんだろうな。
┐( ̄ヘ ̄)┌
わたし
「ねぇ、、運動会は
リレーとダンスだけだった?
他には何もしなかった??」
娘
「あ、、綱引きした!」
わたし
「綱引きした時、、
覚えてることは他にない?
一生懸命に引っ張って、、
手が痛かったよね?
こけてしまったお友達もいたよね。
泥だけになったよね?
先生たちのソーレーというかけ声も
聞こえたよね?
皆が応援してくれたよね?
勝てたときは、
みんなで万歳して喜んだよね?
綱引きだけでも
その時のことを考えたら、、
たくさん!書ききれないくらいのことが
あるはずだよ?」
そういうと、
娘
「うん![]()
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わかった
」
そういって
作文の続きを書き始めた。
できた!!
というので見てみると、、、
綱引きをして
楽しかったです![]()
おわり
ママ
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わかってねえじゃん![]()
ま、これからだってことは
わかっているよ![]()
ただ、
わたしは子どもの頃から
文章という作文やら小論文は
なんも考えなくても
昔から練習しないでもかけた。
書くことがないと
周りがいって悩んでいる
意味がわからなかった。
学校をいかない不登校児で
成績は恐ろしくバカだった。
先生にも
「この子は社会に出れません」
と、、
バカすぎて太鼓判を
押していただいたほど![]()
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だけど
私がいま、
とりあえず社会と接点が
取れていることを考えると
すべて
文章をかくということだけで
繋がれてきた気がする。
作文や小論文が
苦手な人がいるなかで
私はそれだけで
進学できたし、
看護学校も合格したし、
就職もできたし、
いまも仕事でも
書類云々は人の2倍速で
片づけることができる。
内容はともあれ、
埋めりゃいいんでしょ?
それだけなのに
周囲は言葉という
言葉が出ないことに
苦しんでいる。
私の方が
文法もおろか
文章の基礎もわかっていない
付け焼き刃なんだけどね。
書く。
それはこの社会では
かなり大きな武器なようだ。
好きこそもののという
言葉があるように
私には書く=生きる
ことなので
書かないことはありえない。
人生のうちに
思いのたけを書き綴って
死にたいくらいだ。
娘のように
何書いていいかわからない。
それは、、、
一つの出来事に
ああだのこうだの
想像や妄想を膨らませて
いくことが出来ないし、
べつに必要ないし、
楽しくないのだろう。
映画を見ても
私は想像と妄想を行ったり来たり。
小説を読んでも同じこと。
一つの作品や、
一つの出来事に
良くも悪くも
思う存分に浸れる。
それに何の意味が?
と言われたら答えられないけど(笑)
でも、、、
感性や想像力は
人の気持ちを察したり、
人の人生を考えたり。
人との関わる社会である以上
必要にはならないのか?
そういうのがなくても育てなくても
今は生きて行けるような感じの
教育になっているのかな。
でも
やっぱり……
娘には必要最低限の
想像力や感性が
身についてくれたらなと思っている。
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