◆新プロジェクトX~挑戦者たち~ ミスターラグビーがつないだ魂のパス | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。

▼写真AC:ゆりかもめねこさん提供のフリー素材


2019年。
日本中を熱狂させたラグビーワールドカップ。
弱小と言われていた日本がアジア初・決勝トーナメント進出の快挙を成し遂げました。


日本中がラグビーに熱狂していた1980年代において、ひときわ輝きを放つ選手がいました。
平尾誠二。
軽やかなステップと天才的なテクニックで、そのプレーは見る者を魅了しました。

元ラグビー日本代表の田中史朗(ふみあき)さんがゲスト。
平尾と同じ伏見工業高校出身の田中史朗さんは平尾のプレーに憧れました。
田中さん「ラグビー界の “神” でした」

中学でラグビーと出会った平尾。
高校・大学・社会人・全てで日本一を達成し、“ミスターラグビー”と呼ばれたカリスマでした。
次は「世界に打って出る」

1995年ラグビー・ワールドカップ南アフリカ大会の相手は強豪ニュージーランド。
ジェイミー・ジョセフを擁するオールブラックス。
圧倒的なパワーとスピードで日本を粉砕。
得点差は実に128点…、試合になりませんでした。
歴史的な大敗をきっかけに国内のラグビー人気も凋落し、スタンドから人影が消えていきました。
折しも90年代半ばで、バブルが崩壊。
多くの日本人が自信を失い肩を落としていました。
「世界に勝てなくてもしかたない」
だが、平尾は前を向き「いつか必ず雪辱を果たす」

同じ悔しさを抱いたのが、日本ラグビー協会・国際広報担当の徳増浩司。
128点差の大敗を目の前で見ていました。
日本ラグビーがどうすれば変われるのか、大会期間中に平尾と語り合っていました。
「今までの常識を破ろう、何か破ってやろう」
「違ったことをやろうというのは、平尾さんもあるみたいでした」
「ラグビーというのは、いろんな可能性があります」

人気衰退を憂えたラグビー協会は切り札として平尾にすがりました。
代表チームの監督のオファーをしました。「何年かかってもいい、日本代表を変えてくれ」
最年少34歳での代表監督就任。
目指すは、ワールドカップ決勝トーナメント進出。

日本に何が足りないのか。
平尾はニュージーランドのジェイミー・ジョセフに電話をかけました。
「あなたの強さや経験を生かして、日本代表を助けてほしい」
ジェイミー・ジョセフさん「あの電話はうれしいサプライズでした。平尾さんからこのような機会をもらえたことは驚いたが、とても興奮しました。私はオールブラックスを去って、日本に行くという決断をしました」
それまで日本ラグビーで重視されてきたのは組織と規律。
選手に求められたのは 監督の指示のもと決められた役割を確実にこなすこと。
そのやり方をジェイミーたちと変えたかったのです。
一人一人が考え、自ら判断して動く。それがこれからの時代に必要。

当時、代表でコーチを務めた土田雅人さん。
「僕の信念は型にはめてサインプレー重視でやっていくパターンもあるし、でも平尾は全く違って、選手が考えて発想しないとチームは強くならない」
平尾はさらに外国人選手を招集し、先発メンバー15人のうち6人が外国人となりました。
平尾は、外国人選手一人一人に手紙で思いを伝えました。
ジェイミーさん「テストマッチの前にいつもバスの中で手紙を渡してくれました。それは私を元気づけてくれる内容でした。試合の中でどういうプレーをしてほしいか、私の強みが書かれていました。その強みをチームのために生かしてほしいと、私に自信を与えてくれました」
だが、この改革はすぐに反発を買いました。
「日本代表はまるでオールブラックスならぬ、チェリーブラックス」と揶揄されました。
更に社会人チームは、代表メンバーに主力の選手を出すことを渋りました。
土田さん「なかなか代表チームに集まってこないのは、社会人大会で優勝した方が気持ちいいですし、そっちの方が目立ちます」

2年後、監督となって初めて迎えたワールドカップ。
1999年ラグビーワールドカップ・ウェールズ大会は1次リーグ全敗。
更に育成を兼ねて若手主体のチームで海外でのテストマッチに挑みましたが、またしても連敗。
苦渋の決断を迫られ、就任から3年9か月で代表監督辞任を決意。
「ワールドカップで決勝トーナメントに進出する」はるかな夢が遠ざかっていきました。

田中さん「100点取られることっていうのが、ラグビーでは基本そこまでない。それがまた世界の代表クラスでなってしまうとやっぱりプライドもずたずたになってしまうと思いますね」

司会「日本ラグビーと世界のラグビーっていうのは、どんな違いがあったんですか?」
徳増「日本のラグビーはやっぱ練習が大事なんですね。練習で型を決めてそのとおりに試合に出すっていう。一人一人に役割が決められていてそれを集団で出していくっていう。だから、このシナリオが崩れてしまうと、どうしていいか分からなくなると思うんですよ。形にはめるんじゃなくて個人を大事にしていく。個人を大事にするか、集団を大事にするかというところは大きな違いだと思います。(平尾さんの意思は)ラグビーそのものをやはり変えていきたいというのがあると思うんです。世界にチャレンジするためにそれまでの日本のラグビーが上から言われたとおりにやっていくラグビーから、自分たちが考えるラグビーになって更に強くなっていく。個人の判断を大事にするラグビーってやっぱ時間がかかるんですね。それを2年間ちょっとでそれを変えていくっていうことはかなり難しいものがあったと思います」

2002年、サッカーワールドカップ日韓大会が盛り上がり、国内はサッカー一色に染まっていました。
その熱狂を忸怩たる思いで見る者がいました。
128点差で大敗したニュージーランド戦を悔しい思いで見つめていた徳増浩司。
改革半ばで身を引いた平尾の悔しさを痛いほど感じていました。
大学でラグビーを始めた徳増。
目の前で見た本場ウェールズのラグビーに心をつかまれました。
大学卒業後は新聞社に就職
だが、どうしてもラグビーを忘れられず、3年で退社。
単身ウェールズに留学し、住み込みで掃除人をしながら本場で学びました。
その後、高校ラグビーで監督となりウェールズ仕込みのプレーでチームを日本一に導きました。
次は日本ラグビーを盛り上げたい。
ラグビー協会の職員となった徳増。
日本でのワールドカップの開催を提案しました。
ただ、国内の試合もガラガラの状態でとてもワールドカップを呼べる状態ではありませんでした。
同僚はあっけにとられてました。
ウェールズに留学経験もある徳増に、英語での交渉には自信がありました。
各国のラグビー協会にも顔が利きました。
同じ思いを持った理事たちも立ち上がり、招致運動が始まりました。
そして平尾を招致の顔にすえて、オールジャパン体制が立ち上がりました。
しかし、これまでワールドカップは強豪国でしか開催されていません。
日本が勝ったのは1勝のみ。弱小でした。
徳増はプレゼン資料を5か月かけて準備し、海外へ飛び面会を申し込みました。
しかし、強豪国に働きかけるとこんな言葉を浴びせられました。
「100点差で負ける国でワールドカップはできない」と。
光明を見つけては、失望する毎日。
それでも下を向くことはありません。
国際ラグビー評議会の役員に泥だらけで練習する高校生の姿を見せました。
「This is crazy」とささやかれました。
ラグビーは普通芝生でやるものですから。
「日本の高校生はこういうところでもラグビーをやるぐらいラグビーに熱心なんです、情熱があるんです」とっさに思いついた言葉で言いました。
6年にわたる徳増たちの招致活動が実り2009年に「ラグビーW杯 2019年日本大会開催決定」見事に勝ち取りました。
徳増さん「“このラグビーっていうスポーツがもっと世界に広がるためには是非 日本でやりましょう。今日の皆さんの1票はラグビーの将来のための1票です” ってことを訴えたんですね」

一方の平尾は選手を強化する構想を練っていました。
日本大会こそ、決勝トーナメントに進める最大のチャンス。
日本を強くしなければならない。
全国の12チームが競い合う新しいラグビーリーグが誕生し、試合数が大幅に増えました。
世界トップクラスの外国人選手も相次いでやって来ました。
その中で頭角を現したのが田中史朗。
外国人選手に もまれ実力をつけていきました。
日本人として南半球のプロリーグスーパーラグビーに参加した第1号となりました。
身長166センチと小柄ながらも自ら考え、瞬時に突破口を見いだす司令塔に成長しました。
そして協会も世界の名将・エディー・ジョーンズをヘッドコーチに招きました。
血へどを吐くようなトレーニング。
世界と戦う肉体と戦略をつくり上げていきました。
田中さん「やっぱり 自国で開催することによって責任感が出て、今まで以上にやっぱ強くならないといけないという みんなの思いがあるので、しっかりした結果を残さないといけないなと思って、みんな全力で頑張ってました」

そして日本の真価が問われる大会がやって来ました。
2015年 ワールドカップ・イングランド大会。
初戦は優勝候補の南アフリカ。
田中のパスから数少ないチャンスを生かし、日本は南アフリカに追いすがりました。
日本が3点差を追う終了間際。
南アフリカがスクラムでの反則。
ラストチャンス。勝つか負けるか。リスクの高い勝負をかけ、日本逆転。
日本 34-32 南アフリカ。
この瞬間を平尾は病院のベッドで見守っていました。
1週間前に末期がんを告知されていました。
周囲には病を隠していました。
だが平尾はうなだれてなどいませんでした。
1次リーグで3勝した日本代表。
しかしスコットランドに敗れ、決勝トーナメント進出はまたもかないませんでした。

末期がんで入退院を繰り返す平尾。
抗がん剤の治療を受けながらも考えていたのはラグビーのことばかりでした。
課題は日本大会を率いる代表ヘッドコーチを誰に託すか。
当時協会の理事となった土田は、平尾に意見を求めました。
平尾は迷わず、ジェイミーの名を上げました。
一人一人が自ら考えて動くラグビーをジェイミーになら託せるという確信がありました。
2016年、動きだしたジェイミー・ジャパン。
国籍を問わず、国内リーグで活躍する有望な選手を招集しました。
ジェイミーが求めたのは「選手自らが考えて動くラグビー」
それを実現するために導入した練習メニュー。
メンバーを4つのグループに分けて競争させました。
「どうすれば自分たちのグループが勝てるのか」徹底的に議論させ、考えさせました。
更にこれまで禁じていたプレーも取り入れました。
タックルを受けた時、すかさずボールをつなぐオフロードパス。
成功すれば 攻撃が続くビッグプレーとなりますが、ボールを失うリスクも高いプレーです。
選手自らの「判断」が、最も重要となります。

しかし、ジェイミーと選手たちの溝が出来、戸惑いの声があがりました。
心配した土田は 病床の平尾を訪ね相談しました。
「ジェイミーに任せて選手たちが考えないと、ひとつ上に行けないと、信じるということを言い続けていました。選手たちが考えてやらなきゃいけないと、彼も信じていたんでしょうね」
最後までジェイミーを信じて、平尾は旅立っていきました。
2016年10月20日没。

チームをひとつにすると動いたのは田中史朗らベテランたち。
海外経験を生かし率先して対話を重ねていきました。
日本人も外国人も関係ない。
ただ日本が世界で勝つためにひとつになりました。
変化を恐れずぶつかりあい、たどりついた「自ら考えて動くラグビー」。
ジェイミーが「ONE TEAM」と名付けた新たな姿でした。

2019年日本大会が開幕。
世界トップレベルが国内12会場に集結。日本中がラグビーに熱狂しました。
日本代表は快進撃を見せました。
史上初の決勝トーナメント進出に王手をかけました。
1次リーグ最後の相手は強豪スコットランド。
前回日本の決勝トーナメント進出を阻んだ因縁の相手でした。
日本は勝つか引き分けでも決勝トーナメントに進めます。

台風19号が日本列島を直撃。
スコットランド戦は中止の可能性が高くなりました。
中止になれば1次リーグ敗退となるスコットランドは激しく反発しました。
一方 日本は中止なら悲願の決勝トーナメント進出となります。
戦って負ければ1次リーグ敗退となります。
だが、中止を願うものは一人もいませんでした。
勝って決勝トーナメントへ。それは平尾の悲願でもありました。
試合会場には台風で増水した河川の水が流れ込み、至る所が水浸しの状態でした。
しかし復旧作業に当たるスタッフからは、熱の籠もった声が相次ぎました。
中止にさせないよう、徹夜で泥水をかき出し続けました。
ピッチを超えた「ONE TEAM」の姿がそこにはありました。
10月13日 10時45分 試合実施決定。
スタジアムは6万7000人の観衆で埋め尽くされました。
リスクを恐れずに挑んだオフロードパスからの得点。
さらに26分、ゴール中央を突破したのは 守りの要・稲垣啓太。
自らの判断で攻撃に参加しオフロードパスでつないだボールを最後に受けた代表初トライでした。
ボールはチーム全員の手でつながれてました。
ジェイミーさん「プロップの選手がゴール下でトライを決めるというのは、チームの結束力をよく表していると思います」
しかし、強豪国のプライドがかかるスコットランド。
猛攻で僅か1トライ差まで食い下がりました。
リーチが、そして途中出場した田中が体を張りました。
ノーサイド。
日本 28-21 スコットランド
日本、ワールドカップ史上初めての決勝トーナメント進出。
日本のラグビーが世界に肩を並べた歴史的瞬間でした。
それは平尾が願っていた日本代表の姿でした。

徳増さん「あのオフロードパスの稲垣選手のトライ。あの試合 私は何かこう美しいものを見た気がしたんですね。これが やっぱ私たちが求めていく姿なんじゃないかなと。すごく新しいチームっていう感じがしたんですね。今までに見たことがないようなチームというか。私の後ろにいたラグビー協会の幹部もみんな泣いてましたね。 言葉に出ない時間を過ごしました。最高の時間でした」

田中さん「稲垣選手の勝ちたいっていう気持ちがあそこに現れたんだと思いますね。基本的にはプロップはあそこにはいないです。昔はああいう危ないリスクのあるプレーは全然しなかったですし。そこをやっぱりチャレンジする精神っていうのがジェイミーがしっかり持ってきてくれましたね。それをみんなで努力してしっかり体得して試合で使えるって、ほんとに進化しましたね。平尾さんも褒めてくれると思います。平尾さんがいはったからこそこの結果が得られたっていうことなので、僕たちもやっぱ “ありがとうございました” って、しっかり伝えたいと思いますね。
できるんですね。初めからできないって思ってやってるからできないだけでもっとチャレンジしてほしいですし。もっと自分たちの可能性を大きく持ってほしいなと思いますね」

日本中が熱狂したラグビーワールドカップ。
その大会は東北のまち 岩手県釜石でも開催されていました。
震災で大きな被害に遭った釜石にワールドカップを呼ぶことは 阪神・淡路大震災を経験した平尾さんの願いでした。
試合が実現したスタジアムには歓声が沸き、まちには笑顔があふれました。
田中史朗さんは おととし現役を引退。
どんな体格でも ラグビーはできる。その魅力を伝えています。
徳増浩司さんは 日本人と外国人がラグビーを 一緒に楽しむインターナショナルクラブを開校。
自ら考え動くラグビーを教えています。
パスはこれからもつながれていきます。


ラグビー・ワールドカップ2023 フランス大会の記事はこちら(2023年10月10日)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://ameblo.mom/miyacar/entry-12823814335.html

NHK プロフェッショナル仕事の流儀「エディ・ジョーンズ」の記事はこちら(2015年10月24日)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://ameblo.mom/miyacar/entry-12087700861.html

では、明日。