
旭酒造は、旭富士という酒を作っていた。
桜井博志さんは、父親ががんで急逝したため、旭酒造を継ぐことにした。
しかし、経営状況を知って青ざめた。
前年度85%落ち続けて降下していた。
負け組だった。
子どもの廃品回収で一升瓶が集まった。
桜井は、2000から4000本の中で旭酒造の瓶が3・4本しかなく、地元で飲まれていないことにかなりショックを受けた。
うちの酒はなぜ売れないんだ?
日本酒は衰退産業だし、CMだって出してないからと社員は諦めムード。
この状況を打開するには、何かを変えなければいけない。
当時の日本酒はただ酔えればいい、そんな酒だった。
安いお酒をたくさん飲んでいると、吐く息が臭かった。
そんな作り方では、先は見えているため、まったく違う酒をつくりたかった。
30代後半の夫婦がふんわり飲む、そのくらいの楽しい酒をイメージした。
たどり着いた答えは大吟醸・日本酒の最高峰。
今でこそよく耳にするが、当時市場には出回ってなかった。
コメの外側を50パーセント以上削って、芯の部分だけを使う。
コメの雑味が取れ、スッキリした味になる。
しかしそこまでコメを削ると、繊細な扱いが必要になる。
麹作り、発酵、酒造りの工程が難しくなり、わずかな失敗で台無しになる。
最初の大吟醸が出来、みんなで飲んでみたが、まったく美味しくなかった。
それでも大吟醸づくりを諦めなかった。
資料を取り寄せ、必死に研究した。
一つの方程式が見つかった。
YK35、山田錦を使うべし、熊本酵母を使うべし、コメは35%まで使うべし。
地元山口では山田錦を生産している農家が少なく、なかなか手に入りにくかった。
県外の農家を訪ねても、大手メーカーや現地の酒蔵と提携して、譲ってくれなかった。
そこで兵庫県に足を運び、必死に頼み込んでかき集めた。
流石に35%は難しすぎる。
まずは50%の大吟醸を成功させる。
翌年仕上がった大吟醸を飲んでみて、まずまずの手応えを感じた。
スッキリしたあじわいに香り、さらに1990年、大関・旭富士が3度目の優勝、横綱昇進を決めたため、祝賀ムードにのっかることにした。
東京に乗り込み、勝負をかけた。
百貨店の酒コーナーに売り込みをかけた。
売り場には全国の酒どころの銘酒が所狭しと並んでいた。
しかも山口県の日本酒は無名。
特徴と言えば名前だけ。
相手にしてもらえなかった。
旭富士の地元・青森県にまで行ったが、相手にしてもらえなかった。
旭富士という名前のままだと、山口の二級酒というイメージが付いて回る。
呼び名をわからなくして、興味を呼んでもらおう。
35%に挑戦することにした。
しかし他の酒蔵から27%が発売されていた。
どうせやるなら日本一・コメを25%まで削ることにした。
これなら酒の特徴をアピール出来る。
東京の酒屋でショッキングな話を聞いた。
既に24%の酒が売り出されていた。
急いで精米担当者に電話し、23%にするよう頼んだ。
試飲してもコメの味がせず、味がくもっていた。
コメを限界まで削ったことで生まれる透明感、そこに新たな可能性を感じた。
繊細さが感じられた。
たとえ何年かかっても、この酒の可能性を追求したい。
酒造りの工程にあわせて温度や湿度の管理、微生物を最高の状態ではたらかせる。
大枚をはたいて、最新型の空調設備を整えた。
さらにコメの配合や酵母の種類を変えてみた。
少しずつ酒の味は良くなってきた。
そして10年後、完成した。
これまで飲んだどの日本酒とも違っていた。
澄み切った透明感、果物のような華やかな香り、程よい酸味、全てが渾然一体とバランスを取っていた。
新たな酒は日本酒の常識を破ったと高く評価された。
酒蔵を継いで20年、ようやく光は見えたが、売り上げはまだ3億円。
この日本酒を武器にニューヨークに乗り込んだ。
苦労して作り込んだ酒を世界中の人に楽しんでもらおうと思った。
精米歩合23%とは、一般的な酒蔵の4倍のコメを使う。
卸会社に任せるのではなく、自分で販路を開拓することにした。
直接レストランに持って行った。
英語はまったく出来ないのに、必死にプレゼンをした。
元もとアメリカ人は、コメの雑味が苦手な人が多いと聞いた。
スッキリした口当たり、フルーティな香り旨味を、兼ね備えていたのが評価された。
5年後には100軒を超えた。
売り上げ9億円に達した。
2010年、フランス料理界の巨匠でもあり伝説のシェフ:ジョエル・ロブション氏が、偶然にホテルに来ていたので、面会を申し込み、ホテルのロビーで試飲をしてもらった。
しかし、一口飲んだだけで立ち去ってしまった。
試飲してもらったのも忘れかけていた6年後、ロブションの店・パリの店で、獺祭を出してくれることになった。
獺祭に合うフレンチとともに。
ロブションさんは、こう言ってくれた。
「私は恋に落ちました。フランス料理にはワインよりもこのお酒をお勧めします。カドが無く、スッキリ飲みやすいこの酒は肉魚野菜なんにでも合います」と紹介してくれた。
そして酒の評判が一気に国境を越え、25の国と地域で飲まれるようになった。
さらにその評判が日本に逆輸入、海外で評判の日本酒を飲んでみたいと注文が殺到するようになった。
田舎の酒蔵の生産能力ではとても対応できず、作っても作ってもあっという間に売り切れる日々が続いた。
思い切って、さらなる大博打に出た。
地元岩国に35億円を投入して、12階建の巨大日本酒工場を建設、大量生産に打って出た。
空調管理を徹底することで、1年を通しての生産が可能、品質は絶対に下げない。
酒を仕込んだ全てのタンクを毎日厳密にチェックして、売り上げは爆発に急上昇、2018年に135億円を突破した。
さらに、ニューヨークに酒蔵を建設する。
2020年完成予定で、一升瓶換算で年間70万本を生産する。
大きな試練もあった。
2018年7月の西日本豪雨で、工場は浸水と停電で生産中止に追い込まれた。
被害総額は15億円、昔の弱小酒蔵だったらとても耐えられなかった。
しかし、今はビクともしない。
みんなでがれきや土砂を撤去し1か月で生産再開にこぎつけた。
現在の社員は140人と、35年前の20倍以上に増えた。
平均31歳の中、8割が地元採用の若者たち。
故郷を活気づける会社に育て上げたことは、社長の小さな誇り。
これからも若者たちと酒造りに精進し、田舎から世界に羽ばたく日本酒を磨き上げたいと思っている。
錦糸町・和の奏 SAKE SQAREの記事はこちら(2018年4月24日)
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http://ameblo.mom/miyacar/entry-12370491634.html
では、明日。