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ある瞬間において、あなたが、
『「わたし」とは【この身体のこと】だ』と思ったとしよう。
そもそも、わたしとは、認識するモノなので、
わたしが認識すると、認識されたモノが出来あがる。
この場合は、「わたしとはこの身体のことだ」と思い込んでるのだから、
【この身体】が認識された対象物になる。
もしも、この世にあるモノを、【○○】と【○○以外の全て】に分類出来るのなら、
【この身体】と【この身体以外の全て】にこの世を分類できることになる。
すると、【この身体】が対象物なのだから、
【この身体以外の全て】こそが、認識主体(本当のわたし)となる。
次の瞬間に、「わたしとはこの脳みそのことだな」と思い込んだのなら、
【この脳みそ】が対象物となる訳だから、
【この脳みそ以外の全て】が認識主体(本当のわたし)となる。
「コレはわたしだ」とあなたが思ったモノ以外の全てが、本当のあなたになる。
「あなたは、あなた以外の全てじゃ!」の原理である。
一方、普段の生活の中で、
「わたしとは、わたし以外の全てである」と思える瞬間なんか無い。
「わたしは、この身体以外の全てなんだ!
この、ここにある、まあるいこの身体、以外の全てがわたしよ!
ホラ、杉本彩のボディもわたしで、上戸彩のフェイスもわたしなのよ!
とにかく、この、まあるい巨体は、わたしじゃないわ!」
という感覚なんて、絶対に湧かない。
わたしは、この身体だと思い込んで生きている。
でも、真理では、「わたしは、この身体以外の全てである」と言う。
つまり、こういうことだ。
わたしは、全てである。
日常では、わたしは【この身体】であると思っている。・・・①
一方、
【この身体】を認識出来ているところに、本当のわたしがいるはずだから、
【この世にあるこの身体以外の全てのモノ】もわたしである。・・・②
① +②=この世の全てなんだから、
わたしは、この世そのものである。
わたしは、すべてである。
結局、「わたし」という現象が起こる場所には、
一瞬にして、○○と○○以外に分別が行われているのだ。
本来は、全ての全てであるわたしが、
ナニカを、「わたし」だと思い込むことで、
そのナニカと、ナニカ以外の全てに世界を分別する。
身体だと思ったのなら、身体とソレ以外の全てに分割されることになる。
脳みそだと思ったのなら、脳みそとソレ以外の全てに世界を分別する。
認識とは、認識するモノと、認識されるモノがあって初めて経験できる。
分別した一方が、もう一方を見て、
分別した一方が、もう一方を嗅いで、
分別した一方が、もう一方を認識するのである。
(神との対話より)
だから全てがわたしなら、「わたし」は消滅する。
「わたし」を認識できなくなるから。
「わたし」が消滅して、全てがわたしとなる。
ということは、「わたし」の存続は、分別の連続である。
たったひとつのモノを、「わたし」と「わたし以外」に分別することで、
さまざまな経験をすることができる。
「わたし」無しには、何も始まらないのだから。
例えるなら、「わたし」とは、原子炉の制御棒のようなモノだ。
全てである、一つのモノの中に、スッとその制御棒を入れると、
「わたし」が誕生する。
スッとその制御棒を抜くと、すべてがわたしになる。
かぎかっこを付けた、
「わたし」という表現が、端的にそこらへんの描写を表わしている。
まさに、「わたし」なのだ。
世界からの分離、「 」 を付ければ、
「わたし」になれるのだ。
「わたし」とは認識を引き起こすための制御棒を入れた後にあらわれる、
不思議な現象なのである。
不思議な現象の、「わたし」と、
それを観測している「わたし以外の全て(本当のわたし)」
「わたし」を分割した、制御棒を抜けば、
わたしは、全てになり、「わたし」が消える。
全てがわたしで、わたしが消える?
ホラ、またおかしなことになってきた。
(⇒明日は、今日話した内容が、全てくつがえります⇒)
↓あなたは、その身体です。
でも、その身体を観測している場所に、本当のあなたが居るはずなので、
【その身体以外の全て】があなたです。
その身体もあなたで、その身体以外の全てもあなたなんだから、
あなたとは、本来、全てです。
そこに、「 」という制御棒を差し込むと、
「あなた」が出来あがります。
↓今日は下の二つのボタンを押す際、
「かっこつけなけりゃ、「わたし」は消える」と言いながら、ポチ↓ポチ↓